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SRCタンスRPGの掘り起こし
気付いたら半年近く経っていてマズい!ので、掘り起こし。
手始めに
敵npcの色を白色発光に決定し(いい感じ!)
運び出したときの敵味方npc識別もできるように。
見合いしたときに交互に押し合うように、昇降反転で走査するようにした。
気付いたことだが、アセンブラもC言語も、修正を慎重に見計らわないと即座の暴走ならまだしも潜在的バグを仕込んでしまう。そうなると思い付きなちょこっと気分での修正がやりづらいんだってこと。つまり右脳的ゲーム制作、ちょちょっと削って眺めて、またちょちょっと削る、というスタイルには重石ということですね。ひさびさにアセンブラいじって石橋叩いてる自分に気付いた!のですぐ動くように矯正しつつ。左脳主義全盛、くそぅ、とかく毎日闘いですよ。
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人間の脳というのは非常に優秀で、ちょっとした差異と流れで別識別する。なので、macでのフォルダディレクトリ操作や英字かな切替は、windows時とでもまったく混同しない。なぜなら、キーボードもディスプレイも違うからで、このあたりは意図的にしてその成果が出ている。つまりmacにはfusionを入れない。これを象徴する出来事としては、半年振りにMSXを稼動させ開発リストをロード、さてリストをみようとしたとき、もう手が LIST7100-と打って緑のリストをズラズラズラッと表示させていたことである。
なので、この文脈で言えば、アイディアや勉強、ちょっとしたメモなどは手帳と鉛筆でするべきであるということである。自分の手書きの文字とその書いたページに至るまでの過程を脳が覚えているので、それを書いたときの思考イメージ状況風景人の声なども同時に記録されていて、あとで紐解くことができる。逆にパソコンなどで打ってしまうと、文字fontの差異がない上に編集で位置レイアウトなども変わったりするためそういった併持される情報が脳に保持されにくい上に欠落するのでもったいない。正確に言えば保持はされるのだが識別がされにくいので取り出せない。同じファイル名で次々上書きし皆リンク切れで死蔵される。
小学生にiPadなどを持たせ読み書き鍛錬を怠るということはいかに国力を削ぐかわかるはずだ。最低でも自分の手で何かしら文字なり絵が書けることは、生きる上で最低ラインである。プログラムされた以上のことができないアプリに比べ、自分の手はいくらでも鍛錬し向上できる最高のデバイスなのである。
サラチRPGの暴走画面
エンカウント画面test
運び出す家具が敵になる(笑)ということはかなり前から決定していたし、家具とバトルする、というのも8年前!(→HP)から決定していたのだが、どうエンカウントするのか、だけが決まっていなかった。
通常家具などの物体は押せたりするのですが、それがもしエンカウントidを持つ家具の場合エンカウント画面に入りバトルになる。そして勝てば押せるようになるという仕様へ決定。勝てないと微動だにせず岩山のごとし。そのためのアセンブラやデータ構造もfix。つまりようやくハードウエアが固まったわけですな。あとはどういう家具どういうバトルテキストどういう部屋配置、というのは楽しいソフトウエア部分ということナリ。王様秘蔵の箱だあ!
ちなみに画面右下の黄色いのはパックマン的な食べるドット(笑)
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さらに
かねてから考えていたカナひら混じりの変換
日本語はひらがなカタカナ漢字という種別があるが、それらは文節としての役割もある。なので、カナを入れることで格段に読みやすくなる。例えば「まものはとびらをひらいた」は「まものはトビラをひらいた」の方が格段に読みやすく空白の区切りも不要になりかつ複雑な表現も可能になる。
しかし言うまでもなく
MSXでは文字fontは最大255文字と限られており、文字だけに ひらがな+カナ=100個も占有できない。そこで、カナ表示のときは使ってないひらがなをカナfontにしてしまえ、という発想で、もし同時にひらがなも使っている場合のみ、新たに別文字を探しカナfontを割り当てる、というものであり、さらにusrで表示したいテキストを引数で送ればfontを生成した上に表示できる状態のテキストにして返してくれるというスグレモノ。使う側に負担をかけない非常にシンプルで美しい解法、ナイスですねえ
非常に珍しいケースだが、試作とmsxの作業が同時並行していて、しかも相互に影響し合っていて面白い。波に乗っている感じだ!
今調整している試作には時間軸が2つあり、操作したときの応答と別タイムラインの双方が同在している。操作したときに反応を返さないといけないが同時に遅れて流れている時空間のリアリティも失わせたくないので、あれこれいじってなんとか落とし処を考えては実装し触ったりし探し続けていて気付いたことがある。
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ゲーム制作が、マンガやイラストなどと決定的に異なるのは、時間により状態が変化するからで、
性質としてはアニメに非常に似ている。セル一枚だけ上手く描けても、通して見た時間総体で良くなければ価値がないので、その分のチェックが必要となる。ゲームはさらにプレイヤーの操作による状態の違いが上乗せされる。
昔のゲームには、コントローラコンフィグがついているゲームがあった。チュンソフトの中村氏も以前「自社のゲームにはコンフィグをつけない」と異を唱えていて、私も同じようにコンフィグというものには反対だったが、
ゲームには時間軸ごとの調整が要る、
ということがわかると、そのコンフィグには実は、膨大なチェックと調整が必要なはず、ということもわかってくる。
ゲームを作る側は、最終的にどういう気持ちよさを作りたいか伝えたいか、は決まっている。
なので、コンフィグで速度を変えるならば、例えばその目盛りが「遅い」から「速い」まで10あるならば、その10それぞれの速度でゲーム全体をプレイしたときに、狙った気持ちよさが伝えられるかをテストする必要が出てくる。項目が2つあるならば、10×10=100通りをゲーム開始から終了までテストしたのか。
しかしいうまでもなく、そんなことはできるわけもなく、そして、まあ、食堂の横に置いてあるソースとかのように使いやすいようにいじってくれ、程度なわけである。それは放置、つまり「無責任」なのである。その適当さが私には許せなかったんだということが今ならわかる。選べることが親切設計に見えるからタチが悪い。
しかしこの無責任さは今の時代にはすごくはびこっている。便利便利と次々と作るが相手の幸せなんかよりもどれだけ売れたかしか興味がない。自分で手一杯。NHKなんかで政治について若手の論議がなされているが、結局、個人個人が、自分の仕事の中でどれだけ責任をもって受け取る人のことを考え抜けるか、ということでしか世の中は良くなっていかないような気がする。自分の日常でどれだけ踏みとどまるか ということなんじゃないか。
赤塚不二夫氏が晩年取り組んだ「幼児性を取り戻す」
に近いようなことを私も今している。かつてどのように作っていたのか。
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昨年ようやく気付いた、ユーザーフレンドリーという病(やまい)(=HP)ですが、気付いたくらいじゃあ戻らないわけですよなにせ長い間かけて構築されてきたわけですからねー。ミスチルですよ。知らぬまーにー築いてた、というわけです。自分で作ったルールの中でもがいてるわけですよ(笑
昔パズルゲームなどを作った場合、例外なく、最初に面白く作る。もちろん、その時点では自分は遊べるわけですが、テストプレイさせてみると、あれれーそんなのもわかってもらえんのかーとやさしい面を作る。見せる。またわからない。さらにやさしいの、と作っていくうちに、最初に作った面なんか15面くらいになったりしていたもんです。面だっていろいろ作ったのをやさしい順に並び替えたりしてた。
ところが
今とか作るとまずどう作ったらわかりやすいか、を先に考える。これはルールも同じで、どういうルールならわかりやすいか。こういうの面白いよなーと追加しようとしかけてブレーキがかかる。わかりにくくないか、とか。なんか1面から上に向かって作っているんですよ。面白いわけない。
しかし反対だったわけですよ以前は。。まずガーッと作る。面白いのを作る。次に見せてからそれを噛み砕くことを考える。つまり、アイテムの名前があるトルネコ、なわけですよ。1面は一番最後にできてた。
つまり
そもそもユーザーフレンドリーなどと言ってること自体が間違いだったと。前からやってたんだから。
こういうことが言えるのも今加速してガーッと作っているからです。ああこういう感じだったなあと。
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脳の構造から言えば、人間の生活や習慣ルールというのは、非常にささいなことで成り立っていて、それはふとしたこと、例えば誰かに何かを言われたとか、ある日事故にあったとか、いつも見ていた大きな木が切られたとか、長く務めた会社を辞めたとか、新しく誰かと知り合ったとか、そういったことで驚くほど簡単になくなってしまう。非常にもろいものなんです特に今の時代。
強い意志や計画に基づいてやっていたことではないので、復帰も苦労しますね。いやーたいへん。そしてだからこそ貴重なものなのです。今を大事に、ヨモギ自動車。
試作はようやく弟のOKが出た。本当に時間がかかるが検証がなされていないカテゴリを進むにはすべて自分で検証して進まなければならない。これがまんが道ならぬコンピュータゲーム道である。低きに流れる時代に、ほんとうにトキワ荘時代がうらやましい。。あそこには精進の精神がある。
このところ消費の衝動を振り切れるようになった。衝動は起こるが作業環境に自分を移行させればそのまま没頭できる状態に。じりじりと粘り強く引き剥がした結果がようやく。。従なる消費ならいいんですよ、楽しいし。主に及ぶのがマズい。。
今の時代、簡単に手に入るようなものは大抵こちらの主軸を奪うものであることがよくわかる。没頭させ時間なり費用なり若い貴重な年数なりを奪う。過ぎ去ったあとは浦島太郎。今バリアフリーで簡単に手に入るものは、ほとんどが事前の淘汰がなされていない。簡単にいくらでも録画予約できるようになってアプリをどんどん落としてどうなったか。本当に必要な欲しいものは残っていないのではないか。MSXを使っていてもわかるが、制約を乗り越える熱意こそが価値なのだ。バリアを無くせば熱意のないゾンビがなだれこんでくる。それよりもバリアを乗り越える動機やキラメキを示すべきなんじゃないか。やってみたいと思わせる何か・・!先に見える光があれば難しさや困難さを誰もが乗り越えてゆけるだろう。そのとき一人一人の日々磨いている経験が、人を導く光となるのだ。
職業病での腰痛をお持ちの方も多いかと思います。私もずっと作業で腰にキてます。
このところ寝る前に、野口晴哉氏の著書を散歩するようにパラパラと眺めるのですが、
腰痛は腰椎1番、腹に力を入れさせ吐くタイミングで放して調整する、とあり、ハッと気付いたのですよ。
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よくガックリ首を落とすとありますが、
首は言うまでもなく骨で支えているのではなく首の筋肉で支えています。よってお亡くなりになられれば頭を支えることができず、下を向く姿勢になります。
同じように、腰も、腰椎が支えているわけではないわけですよ!腰の筋肉、つまり腹筋が支えている。
椅子に座る仕事の人とかが腰痛になるのは、腹筋が衰えて、体を背骨で支えた結果、関節部分が痛い、ということなんだ、ということがわかりました。
よって、
これがわかった本日一日、腰が痛いときは腹に力を入れるように心掛けた結果、しんどい腰痛はあまり出なくなりました。もちろん、怠けていた腹筋を使うので、若干腹筋の筋肉痛とか、股関節あたりに負担がかかったりしたりなど余波はあるので、もうしばらく観察しようかと思っておりますが、まずは第一報ということで(笑
つまり、よく
背筋を伸ばせ、とよく言われていたのは、結果的に腰に力が入り背骨に負担がかからない、ということでもあったわけですね。先人とは偉いものです。これは膝痛も同じ様な気がします。ヒザが痛いのはその周囲の筋肉が萎えたために骨に負担がかかった結果なのだと。。骨で支えないこと!まー要は運動不足ってことです。大抵の病は運動不足ですよ。糖尿病だって運動不足による血糖レンジの狭さが原因なんだし。
そういえば、以前フェスタのゲストでお呼びしたアレックスバンドのドラマー黒田清高氏も「叩くとき腹に重心を落とすと安定する」と言われてました。野口さんも生きる勢いは腹にある、とのこと。というわけでしばらく腹である。
自分がよく感じていた感情がやっと判明
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瀬戸「私は以前、日本刀に興味を持ったことがありました。そこで、刀屋さんで話を聞いて回ったのですが、どんな刀がいいのか、全然わからなかった。そこで博物館で国宝級のものばかり見るようにしたら、二級品を見た時、嫌な感じがするようになりました」(朝日新聞2011年7月11日 P8)
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頑張って作られているし、好きな人もいるだろうし、時代の流れだろうし、だがしかしなーんかイヤな感じがしてならないものがすごくここ数年特に多く目に付くんですが、ようやくその理由が明確になってホッとした次第。わからないってホント困るんですよね。。個人的な趣味の違いなのかジャンル違いでわからないことなのか本質的なことなのか。。わからないと検証しようがなくて不安にさいなまれたりしてホント時間の無駄です。
手塚治虫のW3で「一つ目国の逸話」があり、私はそれを常に教訓にしてきたわけですが、やはり周囲を取り囲まれると人間わからなくなるっつーことですね。たぶん私に限らず、わからなくなって自信を失いそうな同志も多かろうと思いますが、そういうときは、この点を検証し地面を確かめるといいように思います。一級品なのか二級品なのか。古いからいいってことはないですが、昔のものの方が鍛え上げられているものが多いですね。この文脈でNHKを見ると海老沢会長さん時代が一級品で良質のアカデミズムだったということがわかります。一級品が分る人は大抵のちに社会で影響を与える人となったりするので一級品が放送され彼らが触れる機会が多いことが社会的に大事なんじゃないかと。。今全員が分らなくていいわけです。ダンジョンに死体が残されるウィザードリーはマニア向けだが、それに熱狂した人たちがわかりやすいドラクエとか作ってみんなが遊べた、みたいなもんです。あとで果実が得られる。それが一級品の存在意義かと。教育なんかも同じ様な気がします。わからなくとも誰もが平等に一級品に触れる機会があることかと。。情報がpullな今の時代には特に、何気なく流れるものに一級品が含まれる必要があるように思いました。今すぐわからなくたっていいんだってことです。
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このページでは私の成果、発見のみ記述しております。
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