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日頃の行動をメモ。消しゴムで消して作品へと昇華する前の、日々の下書き。
This is my dairy memo. These will be a work after brush up process. .




    2009.JAN

1/1 年賀作成開始

あけましておめでとうございます! 今年は、行動目標が2つあり、その一つとしてこのdairyの更新をするやることになっております(笑)(※1)

まずはまだ出してない年賀状の制作過程。
100枚手作業で彩色するため、納得する図案に気運が高まらないとペン入れができないため、今日までずれ込んでしまったのだが、年の初めの大事な儀式なため、慎重にしております!


16:01
今年はエベレストのごとくそびえる牛の山
下から巨大な牛のあご、を見上げる感じが気に入っている

1色目、黒。牛の黒い模様


17:39
黒はムラが出て、それがそのまま質感になってしまう。牛のケバケバな皮感が出る塗り方が見つかる。

18:18
黒斑点、100枚終了!模索なので時間がかかった。
前日の疲労が重なりくたばる。

夜中置きだす。弟とゲーム制作とか今後のゲーム業界について朝まで談義。
先日相談を受けた、アトラクション企画の、私の企画案を話したらすごく面白がられた。
擬人化案で見た目人格があるように思えるのだ。だが、これを実装するにはネットワーク管理とか事後処理が必要で、 弟曰く1千万はかかりそうとのこと。やはりなー、あぶないあぶない(笑)

1/2 年賀作成 彩色

牛山肌の影と雲の陰、開始。

12:20
終了。100枚。

13:36
雲の、山肌へ落とす影を追加終了。

あたかも目の前の牛の山肌に、
雲の影が落ちるのが、実際に見えるように塗ると上手くいく。


14:01
牛の鼻輪の黄色。

14:18
終了。1mmくらいの線ならかなり楽勝になった。

14:28
色印を忘れたので追加

14:39
山肌に当たる、初日の出の朱色

同じく、目の前の牛の肌に、
朝日が当たっているのが見えたとき筆を走らすとうまくいく。


15:16
終了。なにかしらインパクトが欲しい感じだが、これ以上だと混沌となる恐れがある。

いつもなら小さい人が頭に乗っていたりするものなのだが、今回はどうしてもそれができなかった。
雄大さと、真剣さ、を出したいのかもしれない。



1/3 オセロと囲碁とこども

弟の4歳になる子に、すっかり気に入られている。
電車の中でも、気づくとそれくらいの年齢の子にじっと見られていることが多い。もちろんじっと見返すんですが(笑

いろいろ遊んだ末、最終的に囲碁をすることに。無理だろ(笑)その過程を以下:


何年も前に、人の感情を文章から解析するエンジンにかかわり研究をしていたときに、そもそも人が感情を感じたり、何かにある感情をいだくとは何か?ということを突き詰めていくうちに、脳そのものの認識についての疑問になって、それが高じて現在に至っている。

最初は、私がイタリアから持ち帰った、intelligent toysの、おっかしいおもちゃで遊んでいたのだが、ある程度まで遊ぶとすぐ飽きてしまう。私らが小さい頃に遊んだ、コリントゲーム、を引っ張り出しても、すぐ飽きる。
飽きられると、思えばこれってつまらないよな、と気づくのが面白い(笑)
作られている遊びは、用意されている遊びを消費してしまうと、何もなくなってしまうのだ

これくらいの年齢には、ルールに基づいて遊ぶ、という概念がない。
それゆえ、刺激、変化、がないと飽きてしまう、ということに気づく。

もう遊ぶものがなくなり、 さらに奥にあったオセロを引っ張り出した。

はさんで引っくり返す、というルールを教えることを試みるのだが、やはり難しい。

そのうち、「気が向くままに適当に置いて、埋めていく」と、し始めたので、それに従う。
ここで大事なのは、「どう置いたら面白く置けるのか」という意識。角に置いちゃうぞ、オラァ!みたいな(笑

全部埋めると、今度は「全部白にしよう」といい始める。 次はもちろん全部黒。そして彼曰く、朝と夜、なのだそうだ。

途中彼が飽きると、コマを部屋の端に投げたりする。そのコマをどこだあ?と探しにいくフリをしながら探す。ここもなんとか遊びにするのだ!コマを投げられると嫌悪感が走り、たぶん普通の大人は「ダメ!」としかるところだが、幼年期の認識だと、ダメの意味がわからない。

ダメ、とは、投げた結果、問題が起こるからである。
だが、オセロをしていること自体が遊びである。投げるのも遊ぶことに変わりがない。置くのに飽きたから投げただけだ。遊んでいるのに、なぜつまらない置く作業を続けなければならないのか、と気づく。
自分が、そういった、気づかないうちに常識に縛られて自分を既定している、ということに、彼と遊んでいると気づかされることが非常に多い。

さらに、ダメということが分かるのは、目の前の現象が、将来どうなるか、という、時間軸をはさんだ認識、ということなので、それは4歳には無理なのだ。そうなるとどうなるか。目の前の好き嫌い、になる。なので、大事なのは、いちいちやってみせる、やらせてみる、経験させて思い知らせる、という学習過程をその場でやる、ことが大事なのだ。

オセロに飽きたようなので、さらに奥の囲碁を出す。


囲碁で好都合なのは、オセロと違って裏表がないこと、線の交差にコマを置くこと、コマの材質が違うこと、素材が自然なので音などが違う、など、差異が見えることだ。これはオリジナリティも同じなのだが、差異があるからこそ新しさが分かる、という基本でもある。

やはり埋めていく遊びになる。面白いことに、交互にコマを置く、というルールは暗黙のうちに成り立っている。

オセロのときもそうだったが、破損しているコマがあると、目を大きくして、壊れてるよ!と興味深気にながめるのが面白い。これも差異なのだ。

帰りの時間が近づいたので、急いで片付けるようせかす。

片付けるときにも遊びを入れる。私が彼の色である白のコマを、彼の手元の入れ物に投げ入れるのだ!
百発百中になるように注意する。弟とも話したことだが、結局教育とは、やってみせる、ことしかない。
身体的な習得は、本で読むより、目の前で師がやってくれたことを真似る方が断然早いからだ。


彼が帰宅し、心底疲れているのが分かる。真剣勝負だからなあ!

同時に、常に瞬間瞬間を面白くしていく、という過程は、音楽の即興演奏をしているのと同じなことに気づく。そうか!彼と即興演奏をしていたのか!

1/4 今を生きる

電車を待っていた。

JAZZドラムを習得するトレーニングを進めるうちに、音をアコースティックに捉える、ということに敏感になってきて、 テレビの演奏でのスネアの音一つでも、なんだそのヌルい音は?とイライラするようになっているのだが、

思えば、フジロックなどでも、
豊かなリズムを感じることができず、分かりきった4つ打ちとか知ってる曲とかにしか反応しない聴衆
というのにそうとう失望した記憶があるのだが、

それがなんなのかふとわかったのだ。

音楽そのものを感じているのではなく、
リフだったり、フレーズだったり、歌詞だったりから、何か記憶や自分の境遇や好きなものや人を連想し、
それを楽しんでいるのだ。

だから、リズムが不自然でも、ありきたりなメロディーでも、オリジナリティーがなくても関係がない、
ということなのだ。
逆に、むしろCD音源が下手ならば、まったく同じように下手、でないと識別記号として機能しない。
上手く演奏してしまうと識別できず快感が誘発できないことになる。

つまり、記憶を掘りおこし、快感を誘発するトリガーとしての音楽、なのだ。

それ自体は別に悪いことでもなんでもないと思うのだが、
そういう楽しみ方は、

 今、目の前のものを感じて楽しむ

ではない。


そしてそのことが、日本の音楽が世界に通用しない、一番の理由なのだ、とも気づいた。

別に自分たちがやっている、音を楽しむ音楽、が偉いとか言うつもりはない。

ただ、今、目の前の音を感じるままに楽しむのも、すごく楽しいので、
そういう楽しみ方をなんとか広めたい、と切に思った。すこしずつね!

今年のテーマでもそれをさらに進め、
今、ということを大事にしよう、と。

とにかく、
今、すぐやる。先送りしない、


なので、今、夜中に浮かんだので、すぐこうして書いているのだ!


1/6

一気に動いたら風邪を引いたので足湯などで解消する。実は原理はお灸と同じなのだ。熱くなったら離し、また浸ける。
体からは常にサインが出ているので、それを読み取り対処する。この過程は、対人とか組織とかでも同じこと。


1/7

今日はいきなり大ダメージを受ける。10年以上長きに渡り。しばらく動けないかもしれない。
人間とは不便な生き物だ。

このページでは私の成果、発見のみ記述しております。

※1
最新の記述をしてしまうと、古い記述が忘れ去られるのでこれまで更新をしてなかったのですが、 先送りしない、ということで!