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このところ、今後ゲームはビジネスとして成り立つのか(利益が出る仕事なのか)、という検討を進めている。
結論としては今後、
ダウンロード中心の広告ビジネスに向かい、
ゲーム性は形を変えてウェブサービスの中に潜み、
パッケージは、技術革新によりネットで表現できない端末(立体映像、AR、VR等)が普及した時点で復活する
だろう、
と
見ている。
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PSP Goがダウンロード専用機に移行し、パッケージから事実上の撤退に向かう。
いうまでもなくCDビジネスは壊滅的で、それを目の当たりにしているソニー社は
すでに販売店販売に見切りをつけパッケージ販売から撤退するわけだ。
現実的に言えば、私らが熱狂したゲーム黎明期はすでに90年代で終わっていて
ヘボリ氏ともよく話すが、ゲーム業界はホテルカルフォルニアなのである。
ホテルから出られずさまようお客たち、それが現在のゲーム製作者であるように思う。
(そしてバーテンに(「1990年以降の新しいお酒はありません」といわれるわけだ)
私らはそれをわかっていて選択している(※1)。
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昨年、ロックマン9がファミコンの新作としてリリースされたことは、そういった往年のゲーム製作者に勇気を与えたし、「勇者のくせになまいきだ」がPSPでリリースされた(※2)ことは、ドット感のまま3Dにすればいいのか!という視点を与えてくれた。
私らは、もう一度かつての興奮を味わいたいのだ。
今回のゲームショーでも出展されていた、Q-gamesの「SHOOTER」(PS3)などは、レトロゲームを現代の技術で再現した素晴らしいものだし、「人喰いの大鷲トリコ」(PS3)なども贅沢な方向で素晴らしい。
だが、それらの莫大な制作費はどこから出ているか?と思えば、明確にPS3の広告塔、ということになる
(広告は制作費それ自体がペイしなくても(売れなくても)いいのだ)
iPhoneのアプリでも顕著だが、
通常は、ダウンロード販売だと、沢山のコンテンツに埋もれてしまう。ダウンロードで判断になるのは「面白そう」な画面である。面白そう、というのは広告業界のノウハウである。
さらに
世界とフラット化した中で、知名度が低く話題にも上らないソフトを高いお金で落とすわけもない。だが、その数千万かけて作られたソフトをどうペイするのか??
すると、テレビやネットで広く告知することが必要となるし、グラフィックやサウンドを著名で集客力のあるプロに依頼し、見た目で訴求することが必須になってくる。
それらへの予算割合は増えるだろうし、その分ゲーム本来の面白さはしわよせを受けるだろう。
バクチの割合は増える一方だ。
これは格差拡大を意味するし、それは業界の縮小を意味する。
そもそもゲームは、
広告とかグラフィックによる訴求ではなく、
ゲーム内容そのものとそれを体現したグラフィックそのものが訴求になっていたはずだろう
自分たちが作ってきたもの、そのものが訴求力を持たなくて何がゲーム文化だ。
かつてゲームミュージックに、音楽業界のプロが参入し始めた頃私はすごく批判したのだが、
それは、参入側に対してではなく、
ゲームにそぐう音楽を模索し培ってきた自分たちの音楽(※3)を、別の意味で訴求力のある借物にして売れやすくすることは、
ゲームそのものを変えてしまうのではないか、という警告だった。
しかしネットは
フェイクドキュメントが載りやすいメディア、広告ビジネスと親和性が高い。。
かつてのやり方だけでは生き残れない。さて、どう付き合うか?である。
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先日NHK BS hiにて
蜷川幸雄さんのインタビューがあったが、その中で、
「日常を忘れて没頭してもらうために、最初に観客を引き込む仕掛けは大事です」
とおっしゃられていた。
ゲームだって本来、一時、日常を忘れ、没頭させる役目を持っていた
レトロには、その力があるだろう。
テイストではなく、本当のレトロ。
この贅沢な現時代において、没頭させてくれる実装が求められる。
作る側も遊ぶ側も、その快感は良く知っているから、ノウハウもニーズもあるだろう。
私らは良ければ買う。
ワンダと巨像が出たときは、発売日を待って買った。そういうことだろう
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ちなみに、
ネット上で展開するゲームビジネスモデルとして、やはりサーバ主導は欠かせない。
体験版をダウンロードとか、買わせてダウンロード、というのはパッケージの発想だ。
ユーザー側にコンテンツを落とさず、サービスだけ提供する、それがネット上での展開のさせ方、かと思う。
そもそもゲームとは、没頭させてくれる時間を提供するサービスだったのに、今や物欲を満足させるような状態になっていること自体が問題だろう。
たいして使わない、遊ばないのに手に入れたことで満足し(※4)次をまた求める。しかもダウンロードだと物欲が満足しないから価格も高くできない。そういう意味では昨今の様々なウェブビジネスは先を行っているのだ
今ひとつあるアイディアは
例えば、
コントローラに、クレジットボタンがあって、1play 1gameになるシステム。
押すと、ポイーンとクレジット音がして1ゲーム遊べる。ネット経由で50円が決済(※5)。
ここではまだ書かないが、この方式での特筆すべきことは、機種依存がなくなる技術が使えることだ。
以前も書いたが、
もはや私の情報端末の一つとして機能しているのが、古新聞(※6)である(笑
私の毎日には、朝起きて朝食を食べながら古新聞を読む、という日課が含まれている。
もともと古新聞を保持する意味は、面白い記事やコラムを見つけたときに、その連載をさかのぼって取得するためだったが、気付いたらほぼ「半年分」溜まる状態で平衡状態になっている
結果論としてだが、
この「半年前」の情報の価値の高さ、ということは日々痛感している。
そもそも新しい新聞を読む場合、どうしてもその時点の、社会の流れとか情報とかが加味されてその情報を読んでしまう。
しかし、半年前の新聞の情報からは、そういったよけいな情報が自分の脳からさっぱり消されている。つまり、完全に客観的に(海外の人が日本の記事を読むような)捉えることができることがすごく新鮮なのだ。つまり、情報がロンダリングされているのだ。
さらに、もっとすごい効果がある。
例えば、今日読んだ古新聞には、昨日亡くなった中川元大臣氏の酩酊の記事が載っている(※7)。酩酊会見前の、秘書の状況説明なども詳細に乗っており、何もせずとも裏付けが読める(笑
リーマンショック前の新聞では、車産業の好況が伝えられ、さらなる工場建設などが伝えられていて、あとで待ち構える下落を知っている私から見ると、好況のときの思考と不況の時の思考が比較できて非常に面白いし、何より未来を知る自分、という不思議な感覚を味わえる。
また、先日のshootingは、ある題材を扱っている。どうやら映画等とのタイアップか?と予想したところに、古新聞では、半年後の公開に向けての様々なキャンペーンが張られており、それらの情報が生きた情報として取得できた。探したり調べたりする必要がなく向こうから飛び込んでくるのだ
思うに、
どうやら、広告や世の中の流れは「半年」を単位にしているらしい、ということだ。これは興味深いとつくづく思っている。
DSiなどのダウンロードコンテンツを利用してみて、なるほど、パッケージビジネスの本質がわかったのだが、
パッケージビジネスとは、
先に本体を買わせる、という形で投資をユーザーに覚悟させる。
そのとき、ユーザーはその本体の価格を、のちのち買うであろう、パッケージを買い足すことで償却していくことを暗黙に了承するのだ。
つまり、買えば買うほど、本体の価格は個数で割られていき、ゼロに向かう。本体価格はなかったことになるのだ。
よって、最初に本体を買おうと決意した時点で、パッケージもその本体が相殺される個数分以上買うつもりだし、買う期待がある(「面白いゲームが一杯ありそう」)、ということになる。
この文脈で言うならば、本体価格の値下げ、というのは、その本体で遊べるゲームが少ないことを意味することになる。 価格を下げるということはラインナップが弱いということの露呈にほかならない。本来はそうなる前にタイトルの充実を図らなければならない。
安いから買うのではなく、遊びたいタイトルが多いから本体を買うのだ。
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ダウンロードゲームを購入するには、クレジットカードをネット上で入れるか、コンビニとかでポイントを購入してそのレシートの番号を本体でちくちく入力し買ったりするが、たいてい、そのとき欲しいゲームを購入してそのままになる。
つまり、残ったポイントが放置されることが往々にしてある。
買う側としては、買いたいソフトの値段分だけポイントを買いたいが、大抵は1000円分、3000円分、と「半端な価格」だ(※8)。
そしてさきほどの投資の話しになるが、
このまとめて買ったポイントは、消化できてないし、そして、さらに言えば、期待もない、ということになる。
開発費をそれほどかけられないこともあるし、実際落としてみて遊んでみてわかるが、あきらかにパッケージよりもクオリティが下がったものだ。
つまりダウンロードゲームのラインナップは、パッケージと比べればそれほど期待できない状態に思える。
お金を払ったのにその場で品物を手にできない、
ラインナップに期待が持てない、
という状態では、よほどゲームが好きな人しか利用しないことになる
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ゲームはクロスオーバーメディアだ。
まったく異なる業種、人種を飛び越え、ゲームは遊ばれる。
ウチの妹はファッション業界だが、DSを持っていた(へえ!と私は思った)
イタリアのご家庭パーティでwiiが大活躍らしい。なぜならイタリアではお互いの家に招いて食事をしながらくだらないことをギャーギャー話すのは日常で、その中にwiiがパーティアイテムとして有効だったからだ。
しかし、これらがダウンロードコンテンツとなると、ここまでは普及しないだろう。
お店でお金を払って商品を手に入れる、という手順から離れるからだ。とにかくめんどくさい(※9)
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以前、
私のバンドの若きギタリストに、勇者30という面白いシステムのゲームがあるんだよ、と話しをしたら、PSPを持っていないのに、その存在は知っていた。
そういう、社会的な認知は、
ダウンロードに移行すると失われてしまうだろう。
クオリティを維持し、
クロスオーバーな特性を持ちつづけるために、
ゲームは、普通にお店で売られるパッケージであることを死守しなければならないといえるだろう、時流はどうであれ。
ジャズがわかってから音楽の肝の解析が進んでいるが、
かねてからわからなかった、ビックバンドの良さ、が、ようやくわかった。
クリントイーストウッドジャズナイト、という映画?((C)1997warner Bros)
を
BS2でやっていて何気なくみて驚愕してから、毎日のように見ている。
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音大の若き学生とよく遊んで(笑)いるのだが、彼が猛烈に進める「首都消失」が未だにわからないのだが、
この、人から薦められたものがわからない、という現象には原因があって、
それは、
それを理解するために必要な素養が、自分にない、という現実だ。
例えば、百マス計算で有名になった陰山さんは、
「まず読み書きを徹底させる。なぜならば、読めないと、数学などの問題文そのものが理解できず落ちこぼれていくから」
という方針に基づきカリキュラムを組み、大きな成果を上げている。
つまり、理解するためには、それをどう読み解くか、の技術がまず必要なのだ。
このビックバンドのよさを理解するには、まずアコースティックのよさを実感できていることが必要で、
私はジャズ演奏歴2年くらいだが、そのよさの根底を叩き込んでいるし、それを表現することに日々苦労し鍛錬している(※10)からこそ、
このカーネギーの演奏の、
音の響きの先先までコントロールしている美しさ(※11)、
に、
すげえ!と驚愕できたが、
もしジャズをやっていなければ、おそらく理解はまったくできなかっただろう。だってねえ、普通の映画音楽ですよ、これ(笑)
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毎日何気なく聞く音楽、には、あらゆる音楽の肝となるパーツが含まれており、
それらは知らず知らずに脳内に蓄積されていく。
これを意図的に行うのが、ヘビーローテーションやパワープレイ、というヤツで、
それにより購買させ商売としては成立するが、脳内には一時的に発生するだけなので根付くことはない。その証拠に、買ったそのシングルはすぐ飽きて聞かなくなる。
それとは別に、
長年かかって自身に蓄積されていく音楽のジャンルの肝は、
ある日突然
「ブルースのよさがわかった!」
という形で開花するといえる。
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ジャズは結局十何年いくら聴いてもBGMにしか過ぎなかった。
実際に演奏して、壁にぶち当たって、錯誤してようやく、その、
ロックとはまったく正反対の快感というものがあることを実感できてから、だった。
それまでは、ジャズをロックで解釈していたし(※12)、もちろんその解釈では面白いわけがなかった。
つまり、
読み解き方が少ないと、新しい面白さは理解することができない
ということであり、そして知らないうちは、本当の面白さをわかっていないのだ、ということを肝に命じておかないと、世の中はすべてつまらないものにしか見えないし、
それは、単に、
自分に読み解く技術がないだけ、なのだ。
まだ私は、レゲエがよくわからないし、日本文学も日本映画もよくわからない。mixiも誘われるがよくわからず続かない。
枚挙に暇がないほど、わからないものがまだまだたくさんある。
それらがオセロのように、
パタパタパタとひっくり返ってすべて宝と化すことを、
私は長年楽しみに待っている。
今回はそれが、カーネギのビックバンドであった、という話でありました。
打ち合わせで大阪へ
私の仕事のペースは、だいたい1年に1回くらいのペースで依頼が舞い込み、
半年+ぐわーっとやって、半年ほど死ぬ、という流れがこのところで、
おかげさまでなんとかやっていけているのだが、
ここ数年は、命を削るハメになる上にあまり報われない流れ
も多く、
これはちょっと個人の努力を超えた何かがあるのではないか、と思っているのだがそれはさておき
今回はかなり特殊なケース。
これまでを振り返ると、
毎回やったことないハードや言語は当たり前で、だいたいどうやって実現するねん?みたいなことも当たり前。
まあなんとかなるのだが、
今回は、それらを大幅に越えた依頼。
よって、人集めしまーす!
一緒に独創的なゲーム作りに関わりたい人ー募集−
ゲーム作ったことない人もOKです。適性はこちらで見ますので、アピール、関わった仕事、作品等メールください。基本面接します。
お待ちしております
秋葉原ロケテゲームショー(HP)
怒涛の大阪の夜を越え、朝の新幹線で東京に戻って直行、眠かった。
同人ゲームに、場を与えよう、という試みで、
ナイスな開催、最初をぜひ見なければ!ということで頑張ったよ。。
SHOOTER (Q-games)
慣性のかかった自機を左アナログで操作、右アナログで撃つ方向を指定
ボタンで、攻撃用の弾および、何かを掴むワイヤーを撃つ
岩を壊して溜まった水をドドドーッと流したり、溶岩に水を当てて固化させたりできる。大ボスも溶岩吐いたり!
この流体アルゴリズムは自社開発だそうで、水、氷、溶岩、ガス(爆発するらしい)などいろいろ応用したとのこと。
水や溶岩がぶわーっと噴出したりするのはかなり面白い
開発は6ヶ月+、スタートアップの開発は3人ほどから最終10人ほどまで、レベルデザインは1人、販売については模索状態だそうな。海外の方が反応がいいらしい。
Eden (Q-games)
画面にゆらぐ草木に飛び移って移動
左アナログでジャンプ方向を指定
ジャンプ後ワイヤが張られ、くるくる回れる上に、回っている状態がそのままレーダーになり、進むべき方向が指し示される(すげえ!)
ジャンプ後、わずかに左右に動かせるものの、ワイヤを打てたりしないので、うっかり落ちるとほぼ無力状態。これはかなりのマイナス。指摘したらよく言われたらしい?ペナルティが強すぎると思うが。。
草木は成長する。ステージセレクトも成長する(これには笑った。すげえ)
やはりプロだけあってQ-games関連の展示は手馴れていた。説明の人がさっと付く、常にゲームがプレイされているので、何のゲームかおおまかにわかる。たいていのブースでは稼動していなかったり、何のゲームかわからなかったりする。やる前に動いているのを見るだけでもう判断できるからね。。
HSPプログラムコンテスト2009
一つの画面に4つくらいの受賞作を表示し選べるようにしているらしかったが、スタッフがついておらず、放置状態、誰もプレイしてない状態。
やはり1台1ゲーム、というフォーマットを外すとスタッフなしではうかつに触れないし、
そもそも会場側が複数台用意するなどの措置をとるべきだったように思う。遊んでもらうための場所なんでしょ??
QUALIA2〜evolve〜(神奈川電子技術研究所)
画面に生物のような自機、弾を撃てる
弾を直接敵に当てるのではなく、弾が画面のメッシュを変化させ、それによって発生した波を敵に当てて攻撃する、というそうとう変わったゲームで、見ているだけだとなんのゲームかさっぱりわからなかったが動きが非常に気になって聞いてみて理解した
このメッシュを使うアイディアは10年前に思いついていたが当時のスペックでは到底無理で、最近やってみたら出来た、とのこと。YMOのタンスシンセがDS10に収まる時代ですなあ!前作は四角だったが今回は六角で開発が非常に大変だったらしいが、その甲斐あって波の方向に多様性が出ている
ざっと見てほとんどが、めんどくさかった
ロケテなのにも関わらず、ほとんどのサークルが向かいで設置されていたので、通行する人で一杯、並ぶこともできない。通りながら概要を把握したくとも、タイトル画面しか表示されてないなど、そのものの確認も手間がかかる。
こういった展示の技術は別のスキルが要る
よって、このロケテ、という趣旨を貫徹するには、
コミケとかの同人即売イベントのノリ(場所貸しのみ)でやるのではなく、
どういう機材をどういう風に設置し、スタッフをどのように案内させるか、という部分を参加者側に示して誘導する必要があると思った。もしくは会場側で説明スタッフを雇って配置する。
ロケテ、とは店舗設置、である。すぐ遊べることが大事だ
場ができつつあるのは喜ばしい!
次は最も欠落している、プロデュース(編集)である
このところ意識的にゲーム機で遊んでいる
PSPのナムコミュージアムでのギャラガアレンジは非常によくできていて、珍しく期待しないで遊び始めてずっと遊んでしまったパターンで、感心した。
自機をキャプチャされたのに、さらにキャプチャしようとする。ステージ冒頭の襲来のダンスが終わらないうちに攻撃が始まる、というせせこましさはまさに現代。さまざまなバリエーションのダンスも美しく、これはかつてのギャラガ製作者が作ったのではないか、と思えるほどだった。ここに未来をみたが、これほどでも、11タイトルのうちの一つにすぎないという現実。うーん。。
で、
その中に「ディグダグ」も入っていたのだが、あることに気付いた。
ちく刺しができない
のだ。。
ちく刺し、とは、たくさんの敵に追いかけられて迫られたとき、一瞬後ろを振り向いて、モリを撃ち、一瞬敵を膨らませて足止めする技で、これなしでは後半の面は無理だ。
そして、これができないのはいうまでもなく、
アーケードのレバーでないから
にすぎない。
つまり、PSPというハードの十字キー、の限界だ。
もちろん、これはPSPだけでなく、家庭用ゲームすべてに言えることで、
シューティングゲームなどでも緊急回避などするには、やはりレバーでないと無理なので、
私も雷電なんかをPSで遊ぶ場合は、レバーを接続してプレイする。
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iPhoneでは、いわゆる戦略系のゲームが多い。だいたい指定して、動きをみる、というものだ。
タッチパネルではおおよそアクションゲームは無理なので、そういうゲームが多くなる。
DSでは、タッチペンがあるので、的確な位置およびタイミングの指定が可能なのでアクションも多いが、
こういう画面タッチ系、Flashなどのゲームにおけるマウスクリック系のゲームなどは、
その操作の性質上、どうしても、俯瞰系のゲームに向くことになるし、
十字キーに比べて、自分を操作しているというよりは、動かしたい物体を外から操作している感が強くなる。
つまり感情移入しにくいことになるのだ。所詮他人事、というか。
やはり自分が生き死にするからこそ熱中するんであって。
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wiiが海外でも日本のご家庭でも受け入れられた最大の理由は、
コントローラがいいかげんだった
ことだなあ、とつくづく思う。
wiiのリモコンが瞬敏に的確に動かないことは、私らのような古くからのユーザーはイライラするものだが、
普通の人にしてみれば、リモコンが的確に動かないことと、自分の操作がおぼつかなくて指アイコンがうまくボタンに到着しないこと、は区別がつかないから別にイラつくことがないし
なにより
その的確に動かないハードだからこそ、ソフト開発者がそれを前提にしたフレンドリーなインターフェイスを設計しようと努力した結果、より一般の人が扱える状態になったのだろうと私は思うのだ。
もし、wiiのコントローラーが正確で、指し示した方向に的確に動いてボタンをクリックできたなら、
遊び手に、より的確に腕を動かすことを要求しただろうし、
それは、私らのような長年ゲームをコントロールし慣れている人種にはよいが、一般の人には、腕のコントロールの鍛錬の問題にすり変わるので、放り投げてしまう結果になっただろうことは予想がつく
つまり、それまでゲームをやらなかった層に広げた、入り口としては結果的に非常によかった、と言えるし、
実は、
一般の人が踏み込めないという、ゲームの難易度の高さとは、
ゲームデザインとかの、内容ではなく、
私ら古参が当たり前としている、
瞬敏かつ正確にコントロールできる操作感そのもの
だったのだと言えるのだ。。残念ながら
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しかし、とはいえ、
そのいいかげんなリモコンをいくら鍛錬しても的確に操作できない
というのは問題だ。
この状態は、人間の基本的な欲求である、学習と、鍛錬による成長とその喜び、という部分を奨励していないことになるからだ。
かつて、ドラクエが流行ったとき、
それまでのゲームの、
ゲームをプレイし終わって上がった自身のレベル、
というものが、
ゲーム内の単なる数値
に置き換わり、
遊ぶ前と遊んだあと、なんの変化もない、本人は何も成長していない、という状態
が
当たり前になってしまったことは、
ゲーム文化において大きなマイナスだったように思うが、
これに近いものを感じる。
ゲームは成長と鍛錬から、消費に変わったのだ
(だからこそチュンソフトはドラクエ開発を離れ、トルネコを作ったのだろう)
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ゲームのコントロール体系は
アーケードのコントロールレバー > 十字キー > タッチペン(マウスクリック)> 指タッチ(wiiリモコン)
と変化してきた。
この推移を眺めて気付くのは、
即応性がどんどん下がっていっている、ということだ。明らかに退化していっている。
即応性が悪い、ということは、生死にかかわる回避がしにくい、ということであり、
つまり、
死ににくいゲームや、生き死にがヌルいゲームに設計せざるを得ない。
熱中しにくくなる、ということだ。
ハードの限界は、そのハードで作られるゲームに大きく影響するのがわかる
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私が音楽をやるのは、即応性が非常に高いからだろう、とも思う。
操作の即応性は、即応性を前提とした操作を要求するため、下手をすると一般の人を遠ざけるが、
熟練における操作の上達、は含んでいなければいけない、と思うのだ。
ギターは誰でも音は出せるし弾けるが上達すればもっと楽しい。
だから、
ゲームだって同じように、
すぐ遊べてそこそこ楽しめるが、操作がうまくなるともっと楽しめるゲーム
がいい。
これは開発環境も同じ。
すぐ作れてそこそこ遊べるが、プログラムが上手くなればもっと面白いものが作れる・・・
成長を促す構造、
それはハード側も心掛けなければいけないフレームワークのように私はつくづく感じるのだ。
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このページでは私の成果、発見のみ記述しております。
※1
なぜなら、we love game、ゲーム大好き!だからである
※2
弟に「まもクエじゃん」といわれた(笑
※3
ファミコン版ロードランナーを改めてみると、ゲームと音楽がいかに密接していたかを思い出させてくれる
※4
社会に支持されているものを所有することは、社会に出ることなく社会に属している感触を得られる。つまり、自己遺伝子を広く社会に広めたい本能を騙す手っ取り早い方法である。
売る側からはこれこそがビジネスモデルである
※5
昔は50円でしたよ
※6
新聞がキライ(?)な人のために書いておくが、どんな情報にも「意図」が含まれている。
それらの中から、自分に必要な情報を正しく見極めて抽出するのが「メディアリテラシー力」である。
ソースがどこか、はそのソースの形成のされ方を知っておけばなんでもいいのだ。新聞は腐っても鯛である。
※7
中川氏記事自体に興味はない。ポイントはタイムリーに符号する過去記事が現われるという周期性だ
※8
ポイントではなく、ダウンロードゲームのパッケージを店頭において、それをレジに持っていったらその価格対応のシリアルをレシートで受け取り、それを入れたらそのままそのゲームが買えてしまえばいいんだけど、お客からすれば。
ちなみにポイントは本体に紐付けされるので余剰が分散するのが困る。
Felica読み取りをゲーム機本体につければいいように思う。いっそのことsuicaと提携するとよい。日本国内のみだが
※9
ちなみに、オークションやamazon、iPhoneのAppなどは、ユーザーがやりたくないクレジット番号入力や手続きを「最初に」やらせる。以降はパスワードだけで決済させる。
本体を買わせるという覚悟が1回だけのように、ネット決済も最初の1回だけなのが重要だ
※10
ロックドラマーが音量を下げて叩くと「弱く」なる。「小さく」はできない。つまり勢いが落ちてしまう。勢いを落とさずに音量を下げるにはかなりの模索と鍛錬が必要となるのだ
※11
シンバルやタイコを叩くと、その音が消えるまでの時間は、叩いたときの音の強さや叩き方で決定される。ロックでは、音が出ればいいのでいつ音が消えるかはどうでもいいが、アコースティックでは、いつ頃消えるかまで考えて叩くときの強さや叩き方をコントロールし実行する
※12
ジャズドラムをパターンでとらえ、そのパターンを叩く、という解釈。ジャズっぽいドラムにはなるが、ジャズは決して演奏することはできない
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