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主人公が勝手に歩き出す、とよく作家さんが言われることがあるんですが、
それは、
主人公の性格なら、こうはできるけど、こうはできない、ということを死守した結果、
主人公の動きを制御できなくなり、その結果、作者が思いもしないストーリーや結末に至ったりするわけです。
演奏においても、同じ事が言えると私は思っていて
周囲の演奏と自分の演奏の総合が、お客に聞こえる演奏なわけですが、
自分がどういう音を加えるか、によってその演奏は良くなったり悪くなったりすることを意味します。
何を良い、何を悪いと感じるか、その感覚こそがセンスと呼ばれているものですが、
そのセンスに従って、周りの演奏に加える適切な音、を選んでいった結果、自分が思いもしなかった演奏を自分がしてしまっている状況、
それこそがマジック、と言われているものであり、
作家さんにおける主人公の一人歩きに相当するものだと私は思っています。
しかし、そういった
設定状況、他人との関係、環境、とのバランスを保とうとする資質
は、不幸な環境では、不幸な結果になりかねない、と、このところ思うのです。
自分が気付かないうちに、望まない行動をしている状態になっている不幸なマジック、
平たく言うと、不況下では、創造的人間は機能しにくい、つらい状況に陥る、という宿命にあるのです。
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この時代、創造的な人間であると自覚するならば、
君主危うきに近寄らず
他人のセンスへの理解
の2点が必須になってくるように思います。
不幸な状況にハマっていることを認知できること、それに対処する技術があるなら対処し、対処できないならば離れること、
そして、できるだけ不幸を減らすために、一見つまらない他人のセンスを知る努力およびその修得を務め、その上で
判断(そのセンスを受け入れるのか拒絶するのか)ができるようにしておくこと、
だと思うのです。
昨晩仕事で帰って夜中にレコーダの整理をしてて、エルビスのライブが出てきた。
私が名前を覚えた数少ないドラマーの一人、ロニータットの、髪を振り乱し疾走するドラムだ!
何度見ても思うが、
see see riderのギターソロの後の、単なるスネアの連打のなんとカッコいいことか!
非常に大事なことだが、遺伝子とは情報量のことなので、
いかに自己の情報を含ませるか、がポイントになる。つまり、音色を内蔵音源に頼ると、
音色に自己遺伝子情報が含まれなくなる(※1)わけで、
デジタル化というのは、結局、遺伝子伝達にとって非常に不利な面をもつメディアだと言えるわけです。
ちなみに、彼はなんと、カーペンターズでも叩いていることに映像を見ていて気付き、
ああ!あのドラムが、やはり!と思ったのがつい最近。あの独特な音は彼そのものだ。
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最近jazzセッションにおいて、pfの方がピアニカを持ってこられている。
ピアニカとは小学生のときやらされた、なんか管につばがたまってダッサイイメージが強かったんですが、
サックス同様、息使いに情報が乗るという点で、表現としては減衰がコントロールしにくいピアノやドラムに比べ
格段に優れているということに改めて気付かされている。
逆に、
昨今、内蔵音源やシーケンスソフトのような、そういったプリセットを組み合わせての表現、サンプリングなんかのような、
コントロール可能な、コンフィグ可能な個所が限定されたものがデファクトになってきているのは、
使い手の、使いこなせない弱さ、がはびこっている(※2)、とも言える、と、このところ思うのです。
サンプリングなんて、他人の遺伝子を宣伝してまわっているようなものなわけです。
引っくり返して言えば、真似したい!と思わせる存在は、生き残る力が強烈に強い遺伝子だといえましょう!
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このページでは私の成果、発見のみ以外も記述しております。
※1
どういうフレーズのときにどういう音色で鳴らしたいかが行使できない。また内蔵音源は他人の遺伝子の結晶「他人のモノ」である
※2
大量生産ブツを作る人は、それを助長しないよう、使っているうちに導くように設計を心掛けなければならない
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