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料理を作るとき、材料となる素材を原子から合成したりはせず、ダイコンやらニンジンやらの既存の野菜を使う。
それらは性質が決まっていて、原子から物質を組み上げることと比べればはるかに制限が大きいが、存在する野菜の数とその組み合わせと割合、調理方法が結果的に膨大になるため制限を感じさせないし、例えば野菜ケーキ、いちご大福、など、いくらでも新しいアプローチと結果が望める。
ここでゲームプログラムについて考える。
かつての言語BASICのコマンドとは野菜でありプログラミングは料理だったとみなすことができる。
一方
C言語などで組む場合、独自関数がコマンド野菜として機能するか、得体の知れない奇妙な野菜なのか、原子分子の組み上げなのか、は自己責任として組み手に投げられている。
よって組み手は、独自関数が野菜になるための何かしらのルールを自らの中に持つ必要が出てくる。
それを私は地面と呼ぶ。地面をつくる。
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以前スパムゴルフというjavaアプリを公開していたときがあった(参考→HP)
このアプリはご覧のようにドットでフィールドがかかれているが、
プログラム内部では、このドット絵をpythonのPILライブラリで解析してドット色情報がそのままコリジョンおよび機能として反映されるようにしてある。ドットをハードウエア化してあるのだ。それがこのアプリにおける地面である。
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かつて地面は与えられていた。。だから作り手は料理に専念できた。
しかし
テクノロジーの発展した現代、
音源はwav、例えば44.1KHzのリアルpcmがそのまま載せられるし、画像は立体も含め何でも表示が出来るので逆に地面が存在していない。完全な自由は創作を誘発しないのだ。
例えば楽器を例にとると、
楽器はシンセなどと違い、固有の音しか出ない。また弾き方などの制約がある。
しかし、奏者のアプローチにより毎回新しい何かがクリエイトされるからこそその存在価値がある。いわば、地面が提供されているというわけだし、そういう意味では地面こそが商品価値とも言えるかもしれない。
ギターシンセや管楽器シンセが今だにあまりポピュラーでないのは、音色に制約がないことによる、地面の無さといえるだろう。
マンガ業が今だに盛況なのは、ペンとインクで紙に書くという地面があるからに他ならないし、
新聞上のまったく同じ文章がネットに載っても機能しないのは、紙面上の面積の制約が地面だからだ。
つまり地面があることが時代を経て生き残る鍵なのだし、
その地面をどう確立させるか、の戦いが常に行われているということになる。
地面の見極めは非常に苦しいが、一旦出来れば広大な地面が広がり創作がグッと楽になる。とにかく肝なのだ。
地面の概念を持たないと、闇雲にもがくだけになりがちなので要注意。80年代など以前もがくだけでうまくいっていたのは先人の地面があったからで、おいはぎ全盛の現代はまず地面の確立がまず肝心になる。
陸上における100m走は、100mという長さ、方向が1次元、が地面となっている。もし地面がなければ、どの方向にどの長さで走ってもよい、となり、極める方向が定まらないからやる方も見る方もつまらない。
かつて
黒い画面の、宇宙が舞台のゲームがよくあった。
仮に
黒い画面のみだと、どの方向にどれだけ進んだのかわからない。そこで、背景に星が表示され、宇宙船の移動に反比例して動く。基準から比較が生まれ結集が始まる。これが地面である。
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ウインブルドンでのテニスでのジャッジ。
テクノロジーが発展した現代においては別に人間の審判は必要ない。
随時コンピュータとセンサにより瞬時に正確なインorアウトの判定が出せる。
しかし、
審判は格式あるまま、昔と変わらずジャッジを行っている。
そして唯一
微妙な審判の判断に疑問をもった選手は、3回まで
「チャレンジ」という形でコンピュータを使ったボールの軌跡を見ることが出来、
審判の判断が間違っていた場合は、やりなおしになったりする。
今「チャレンジ」をすべきかどうか?(ゲームでいえば今ボムを使うべきかどうか)それも戦略となり、また実際どうだったか?という面白みも生まれているし、何よりも、審判の判断に疑問を持ったままプレイをすることにより素晴らしいプレイが生まれるはずの精神状態を阻害するノイズ、を防ぐことができている。審判の格式と尊厳を守った上にテクノロジーの恩恵も受ける。地面の勝利である
半年前の新聞で見かけた広告から、
山田規畝子さんの「壊れた脳存在する知」
を
読んでいるが、
おそらく脳の研究においてはこれほどの宝庫はないのではないだろうか、と思う。
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生きながらにして高次脳機能障害、
雑に説明すれば、
30年分の経験が蓄積された左脳の機能をそのままに、右脳が幼児レベルに陥っている、
という感じであるが、
身の上に起こった体験、まずどうしようとしてそれがどういう結果になったか、それがそのままログとして記述されているので、非常に面白い。
読んでいて、ああ、あれはこういう仕組みで起こっていたか、など様々な発見がある。
幼児や子供、老人がとる行動、果ては精神異常者の行動などを思い起こして説明がついて非常に面白い。
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まず一般によく言われている長期記憶と短期記憶、という概念が、いかに希望的観測に基づいた発想であるか、ということがわかった。
これは私の確信でメモだが、
脳の記憶とは、揮発性メモリー、つまり電気が来ないと消えてしまうものだと思われる。
しかしなぜ記憶が消えないか、というと、絶えず電気が来ているからであり、
どこから来るのか?といえばそれは関連する近隣のメモリーからだ。
電気が来ないメモリーはそのうち自然消滅する。もしくは、軸索が切れた状態で孤島化する(この場合はニューロンが不揮発性、軸索が揮発性と捉える)のどちらかと思われる。
つまり、短期記憶とは結果的に短期になっただけであり、
長期になるかどうかは、そのメモリーがいかに他のメモリーと関連を持っているか?になる。
つまり、これは、外部の新たな記憶候補要素が、自己の体系化された記憶形式(これが発想とか考え方だが)化されたかされてないか、なのである。つまり、独創性とは体系化であり、もちろん体系化するには咀嚼の時間がかかる。つまり、おうおうにして独創性のある人というのは、すぐに理解できない傾向があることへの説明になる。すぐ記憶した(と思った)ものは、横にくっつけただけだから電気が来ない。だからすぐ消える。一方、体系化に組み入れられた記憶は、関連する記憶と密接な関係を保っているから電気が常に来るので消えることはないし、別の経路で刺激されたときにイメージが起動するので「思いつき」とか「発見」に繋がっていく。
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人間の行動は、左脳スイッチの右脳駆動、みたいなところがある。
この山田さんの場合は、右脳に障害(おそらくほとんど失われている)が生じたことにより、
スイッチが入ったあと実行するプログラムがごっそり白紙、というところなのだ。
つまり、冒頭で「右脳が幼児」という書き方をしたのは、
30年生きてきた分が無いなら、子供がするように、単にまた学習していけばいい、ということになる。
これは、自分が新たに学習するとき、もしくは、現状何かしらで行き詰まっているとき、
どう学習していけばいいかの大きな指針となる。
仕事の合間に進めているサラチ、ようやく「地面」を思いついた!
最も頭を悩ませていた、NPC挙動の、スマートな美しい解法がようやく!
作り手自身が「動かしたらどうなるんだろう?」と思わせられる仕組み、それを発見する。これこそがゲーム制作の醍醐味なんだよねー
逆にそれがないものはゴミッ!
7/21 GHOST ON THE LANGUAGE |
先日若い子たちと話をしていて、一人がふと
「脳ってなんなんスかねえ?」
と
つぶやいたのだった。こういう働きは、何から?何で出来てるんだと。
脳の話題が出たのだが、ニューロンの説明をしてもわかりにくいので、
(人間って何?といわれたとき、いやー窒素と炭素と、と話してもしょうーがない)
人工知能に絡めて説明をしたのだった。
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そもそも常識とは何か、である。
一昔の、私らが熱狂的にハマった「第五世代コンピュータ」では、
いかに人工的なアルゴリズムを作るか?という発想にあった。
つまり、常識はデータ化できるものだと。
しかし、
例えば100年前の常識と、現在の常識は違う。なぜなら生きていく環境が異なるからである。
今なら、アナログ世代とネット世代の常識だが、これなどさらに格段に異なる(参考→HP)
つまり、移りゆくものであり、固定化出来ない。
受け取る情報をフィルタリングし蓄積し、その情報を元に行動した結果でまたフィルタリングされる。もちろんフィルタリング自体もフィルタリングだ。それらが社会的多数派を占めたものが(たぶん)常識なので、
人工知能を現実化する場合、結局は教育と学習の問題に落ちる。
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しかし、
といったようなことをそのまま説明できないので、
「いやー普通に会話できて仕事できても、犯罪したり悪いことしたり困ったことをする人ができるでしょ?」
「つまり、都合よく言うこと聞いてくれて、応対もしてくれる、という状態に必ずしもゆきつくとは限らないでしょ?」
なので
「そもそも常識って何?悪って何?ということになるのよ」
と話したら、
「うわー(その話は)なんか病みそうだなあ」
という反応をされたのだった。
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私らの仕事は、ある動きや反応をプログラムに落とすことだが、
現状のノイマン式のプログラムでそれを実現する場合、
分りきっているイメージを、理屈で完全に説明できる形に落とさないとプログラム化することが出来ない。
それはプログラムが明示できるアルゴリズムでの記述を要求しているからである。
この場合、プログラムはあらゆる事象を理論で説明できる状態に落とせる人のみが関われることになり、
感覚的な動きやイメージを持っていても、そのしくみを説明できない人は関われないし、関わる場合は理論化できるプログラマとの共同作業が欠かせなくなる。
しかし、イメージだけで実現方法が判らない場合、
例えば以前テレビでRezの制作風景が取材されていたが、プロデューサーの水口氏の「音楽の高揚感が出るような」という注文に、プログラマーが具体的な指示がないまま、作っては「違うなー」作っては「違う」と言われ続け、数十回作り直してぐったりしている状態があったし、
そもそも
踊りのインスピレーションがあるけど踊れないマイケルジャクソンが、「いや違うなーこう踊って」「こうだって!」みたいな過程を経ていたら、かの踊りは生まれていなかっただろう(そもそも「こう」が正しい動作で表現できていないわけだ。できていれば自分で踊っているわけだから)。やはりイメージのある本人が錯誤してみるのが直結で早いし正しく実現できる。ジミヘンドリックスが他人にギターを弾いてもらうライブなんてありえない。他人がソックリに完コピしたって「説明できないが」違うのは一目瞭然だ。歴史を見ても、弟子に手伝わせるということはあっても、まず本人ができる、それがまず芸術化の一歩のように思う。
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つまり、ゲームに限らずプログラムがアートの領域にゆきつくには、
かねてから構想しているテーマだが、
理論で説明せずに、挙動が実現できる、そういうプログラム言語が必要となるように思っている。
若い子が「病的」と言ったことは、この左脳プログラムがそもそも病んでいるんではないか、ということだ。
美しく言えば「テクノロジーとアートの融合」だが、イバラの道だ。私らは覚悟して選んでいるが、なんというのか、このままではゲーム製作者が増えるとはとても思えない、そういう心配がある。
そう考えたとき、ハタと気付いたのは、
言語が人工知能になればいい、
ということだった。つまり、識別と学習ができる言語(もはや言語じゃないが)であれば、
右脳的人間が感覚で指示が出せ(操作ができ)、構造を解析し説明することなくアルゴリズムに落とす必要もなく、本人のイメージに向けて本人が試行錯誤できる。
そのとき、言語に宿るのは、攻殻機動隊で出てくる概念「ゴースト」なんじゃないか、となんとなくイメージできた。
言語にゴーストが宿るのだ。
ゴーストとは。
人間は窒素や炭素といった元素からできているが、
それが、どういうわけか、自立歩行し考える状態になっている。
つまり、
物質の、とある組み合わせが「ゴースト」を生んでいる、と見なしてよい。
というわけで、
ゴーストとは、ある無機質なモノの、とある組み合わせが産む、とある挙動
と
定義してよい。
しかし、どの組み合わせならばそうなるのか、それは天文学的な検索が必要だが、
ならば、
とある言語の記述が、意図する挙動を産むような組み合わせ
を
逐一
ノイマン式コンピュータが検索する
という形であれば、
現行の技術の先に、
ゴーストが宿る言語を実現できる道筋があることがわかる。
昨年の古新聞を読んでいて、
ネズミの脳のニューロンに光ケーブルを差し、光によってニューロンを興奮させ、
ネズミの行動をスイッチのようにオンオフする研究が昨年発表されていた。
光ケーブル経由で光を通すと、突然毛づくろいをはじめ、光をオフると、寝てしまう、のである。
ニューロン一つで、行動まるまる制御、ハッキングである。
ただ、読んで気づいたのは、
どのニューロンに光ケーブルを差すか?という問題がある。
目的となる行動の大元締めとなるニューロン、川でいえば源流だが、それをどう発見するのか、
という問題がある。研究なら闇雲に刺して、対外的におお!と思わせる今回のような場所を発見するまでテストすればいいが、実用化する場合は、もっと確実性が要るように思う。
現状では、脳内の信号の移動は、外側からぼんやり計ることができないわけで、
これが3D深度の計測が可能になるのであれば、どこか元締めかわかるし、
なによりも、その恩恵により脳内スナップショットが記録でき、
記録できれば、行動に対するフィードバックが得られるため、脳にこのような光ケーブルを指したりすることなく、BMIが実現できることとなるだろうと思う。義手を動かしたりとか。
以前書いた、脳波操作のコンピュータゲーム(参考→HP)、の実現にも、
この立体的なニューロン活動の計測が不可欠に思う。
現状の測定方法だと、変数の合計しか与えられてない多変量解析みたいなもので不正確極まりない。東京を上から見て、あの辺りに人が集まっているからどうこう、と判断しているに等しい。人はそれぞれ特性があり、性格もあり、やってる仕事も違うが、上から見れば、動いて集まっているしかわからない。
また脳内で、血が集まれば脳を使っているか?といえば、実は慣れてないときに血量が増えるわけで、つまり、今やっている作業のすべての要素のどれが慣れてなくどれが慣れているのか、そういった割合、割り当てさえわからない。血が集まっているからそこが目的の個所だ、という乱暴な結論に落とさざるを得ないのが現状で、それは計測方法の貧弱さ、つまりその限界に由来している。
立体計測が可能になれば、どのニューロンからどのニューロンに移動したか、それを総合し動的マップが作れる。しかしもちろんそれらは永劫staticなものとは限らないし個体差もある。実際脳は成長していること(今見たことを憶えている=脳内に回路が「新しく」掘られた、もしくは組替えが起こった)や代謝している(忘れる、違う記憶に結びつく他)ことを考えれば、同じ思考だって違う部位を使うようになるかもしれない。つまり、物理的に手術して とあるニューロンに刺したりしてもそれが、海岸線後退みたいに、無効になる可能性だってある。 なので、
立体計測による動的な捕捉をしていれば、そういったことにも対応ができる。まあどうであれ使う人個別の学習・解析過程は避けられないが、
つまり、川人さんの言われる非接触BMIの方がいいようにこのところ感じている。
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士郎正宗氏が、電脳化と義体化とネット、その世界のイメージを「攻殻機動隊」というマンガで具現化したように、
私が描くBMI直結のインターネットの可能性も現実の具体化とは別に、ゲームやアニメなどの形などで一旦実現すればより現実化に進む足がかりになるじゃんか!と気づいたのが今日で、ではより実現可能な方法は?と思案すると、やはり脳内立体計測が不可欠、と気付いたわけです。
サンレコの広告でピンと来た、OP-1(メーカーページ→HP)の展示を見にちと渋谷まで。ハードは実機触らんとわからんからねー♪非常に美しいカラー液晶と洗練されたインターフェイスおよびインフォグラフィックス、これは美しい!!しかし値段が10万弱、さらに猿のように触るに至らなかったのでちょっと保留に。しかし潜めた可能性はすごく理解できた。特にプロダクトデザインとしては飛び抜けて洗練されている。いずれ欲しい!楽器としてはまだわからんが;
せっかく渋谷に来たので、ということで、原宿の、某シンセ輸入店へ!
探していたFilterBankがあっさりあり、さらにデモでその効力も見せていただいたので即買うことに!
本来の目的は、nord2xの出力に何か総合的なエフェクトをかけたいなーという目論見があった。
ホラ、フィルターバンク、というからには、すべてのフィルターが収まってるみたいな感じがするじゃないですか!
しかし現実は
帯域ごとに削ったり加工したりするわけで今後のマスタリングには使えない雲行き模様、しくしく。。
困ったなーといろいろいじっていたら、
波形をゲートすることでパルスを発生させる現象を発見、そこから芋づる式のように音源が出来た。
音というのは周期的な波形の合成なので、周期があるわけで、その変位にも差異があるわけですねー。
で!
この辺境のページをご覧いただいている皆様なら、面白がれるのではないかと!特別にどうぞ!
44.1KHz,16bit,mono,PCM音源です。
MP3に落とすと味わいが薄まるのでファイルサイズは大きいですがそのままにしました。
nord2x→FilterBank,ADSRによる音源 110801_2x_fb_02.wav (11.8M)
ちなみにnord2xからの出力は、G+A#の継続和音のみ。ボリューム大き目でお聴きください!
感想などあればぜひこちらへ!
なぜちょっと大騒ぎな感じなのかというと、
この音源の作り方は、ドラムやベースがいわゆる「斬る」奏法が基本な上、実は西洋音楽のあり方も、音階、コード進行や小節という仕組み自体がすでにデジタルであり、それと対極にある音楽、というものをかなり以前からイメージをしているプロジェクトの一つで、それがいきなり行使できてしまったので、ワーイ!という感じなわけです。ちなみに、私がイメージしているその対極音楽に至るにはまだ大きく不足するものがあり、それを実現する機材はまだ無い(以前そのシンセ店で「これこれこういう機材ないですかねー」と聞いてみたら「あるわけない」と言われたほど)ので、なんとか作れないかと実現方法をあれこれずっと考えてはいるわけですが!
ちなみに、
このFilterBank、
いじってみると、KORGのMS-20(参考→HP)が暖かい炭火、生体遺伝子組替えのようなものだとすれば、このFilterBankは暴れのたうちまわるエンジン、肌のひりつく殺意を感じる忍者という感じでしょうか。非常に面白いです。世界中で支持されるのもわかりますねえ。
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このページでは私の成果、発見のみ記述しております。
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