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日頃の行動をメモ。消しゴムで消して作品へと昇華する前の、日々の下書き。
This is my dairy memo. These will be a work after brush up process. .




    2011.MAR

3/3 意識的選択

脳の構造から紐解くと、
例えば、
ドラムを叩くという行為そのものが消費活動と分類できてしまうし、
叩いているパターンのルーツもどこそこから、という分類もできる。

つまり、
その音楽なり リズムなりの快感がどこに依存しているかがわかってしまう以上、
どこがいわば「パクり」で、どこが自分の意図なのか、
も判る。
曲を作っていると、ここのフレーズはあれからだな、と最近は瞬時にわかる。

つまり、大学時代に至った、
「完全なるオリジナリティは存在しない」
という結論の上に立てば、

いわば「パクリ」が混在する状態を意識して黙認する、
つまり、パクりを行使するか、
がポイントになってくる。
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そもそも、
真のパクりとは、表層のパターンとかではなく、
オリジナルが持つ快感をそっくりいただくことだが、
(だから真のパクリは似てる似てないを問うことができない)

そう定義してしまうと、
世の中のほとんど、人間の創作活動そのものはパクりと言えてしまう。

しかし、だからこそ大事なのは、

何をそこに加えているか、
それを土台に、何を載せたのか、
混ぜて何が生まれたのか、
こそが
大事になるように思う。


つまり、 ラーメンという形式はパクるけど、その上でどう光るものを上に載せるのか?
ということになる。
逆にラーメンという形式を取らないと「これって食えるの?」みたいになる。

そもそもモノ作りとは、先人の苦労して形にしたものを正しく継承していく=快感をパクる行為
であるからこそ、

大事なのは、
何をパクっているのか、元の良さや快感をきちんと認識している(別格識別している)ことだと思うのだ。

元の良さすごさを実感していれば名前も作品名もすべて焼きついてしまう。
形式しかパクれておらずしかもどこからパクったのかもわかっていない状態なら、
上っ面をただ眺めただけの、仏を作って魂入れず、である可能性は非常に高い。

源泉がどこかわかっていないと、快感を磨いていけばいくほど、源泉の鍛え上げた形に向かっていく。
それが無邪気なパクり、に至る仕組みだ。
無邪気なパクりが罪深いのは、まったく独自で構築しているように見えて実は、 単になぞっているだけの劣化コピーでしかないこと、つまり正しく継承することすらできていない点にある。

好きでないなら、手を出すな、ということだ。

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革命的な作品でも、時代の波に埋もれていく。
それを今の時代に生きている人々が、時代に合わせて正しく継承していく。
その総体が人類の財産となると思うのだ。


食の心、感謝しありがたくいただく
という心である。もちろんすっかり消化してしまうわけだが(笑




3/4 白いエンターテイメント、赤のエンターテイメント

混沌と多様性の今の時代、

頭を解放するような、

 白いエンターテイメント、

が特に求められているように思う。

いわば日常を忘れさせてくれる機能だ。


そして、私らの使命は、
私らが知る古きよき風習である、  自ら学び成長していく実感を体験させてくれるしかけ、
をきちんと含めていくことである。

もちろん、手塚治虫氏が著書「漫画の描き方」に書かれているように、
 「テーマは匂わす程度」
でよい。


3/15 音楽とは

今日は鳥を見た、のライブ当日。

東北の震災後、まだ4日しか経っていないし、
福島第一原発事故の影響で、都心に向かう電車が止まっていて出られない。
バスを乗り継いでいくしかないが、帰って来られるかもわからない。

また原発の爆発などによるパニックなども想定しないわけにもいかないし、
身の周りには関西に逃げる人もそれなりにいて緊張感も走っていた。

津波の事例を見ればわかるとおり、波を見てから逃げるのでは遅い、という事実も拍車をかけていた。

私が主宰者だったら即中止するだろうが、このバンドについては、リーダーの決定で動く。
もちろん、お客さんにも告知をしている以上、こんな情勢に来ていただいたのにこっちが行かないのでは信用問題になる。
また、このバンドは一人居なければ成り立たないから、私が行かなければそれは仲間を放置して逃げライブを成り立たないことを黙認する態度にもなる。しかし人を助けに戻って波にのまれた事例には事欠かない。信用か生か。。

散々悩んだ末、
まずは状況を見ることから始めよう、
ダメなら途中で引き返す、という姿勢で家を出たのだった。
荷物については、万一の人々のパニックの中、移動しやすいよう、最低限軽くすることも考えたが、
結局
ベストの演奏をするに必要な機材をフルセット持って、バスを待った。こんな時期にスネアを持ってバスに乗る勇気。毒を食らわば皿まで。

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結局お客さんは不思議と来場されていたし、
会場も節電のため照明無し(実は照明はW数が高く電力食いなのだ)PAもマイクのみ、という演奏で、
店のオーナーも、一般家庭の電力とライブハウスの必要電力を調べた結果、計算上13人以上集客すれば、あとは集めれば集めるほど節電になる、という方針を固めていたのも心強かった。

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今日のライブで問われたことは、
私の、音楽に対する姿勢、このバンドに関わる姿勢だった。

昨年非常に忙しい時期に事故で全身を打った数日後のライブでも、
演奏に必要とあれば体が痛くても強く叩き必要な音を出したことも思い出した(その後遺症で右手を痛めたままだ)。
自分の行動が、すでに答えを出していたのだ。

生死を突きつけられ、
それでも何を持って逃げるのか、
そういったことをこれからも問われるのだろうと思った。

どんな不幸な状況でも、それを自らを高めるために利用するしたたかさ、その実践が今問われているのだ。


このページでは私の成果、発見のみ記述しております。