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アバターを見ておかねば、と思っていてなかなかいけずに居る。
ゲームにおける立体のあり方について長年考えてきたことの手がかりを書く。
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最近読んだ、ジブリの鈴木敏夫氏の著書の中で
映画は時間と空間から成るが、日本映画はその扱い方の概念が違う
巨人の星で、ボール一球投げるのに30分を費やすが、これは西洋には無い概念
と書かれている。
一時期、車の宣伝なんかでも、早送りしたりするCMもあったし、
マトリックスは攻殻の影響を受けていて、時間を操作している。
同じように、立体についても
実は、もののけ姫では、シーンによってモロの大きさが違う
と。。
つまり、
見た印象がそのまま絵に投影されている
ということで、これは、例えば、
小さい頃に非常に大きく感じたオバケ屋敷が大人になって訪れたらちっさかった、
みたいなことと似ている。その時の気持ちで大きく感じたりするが、
それを実際の縮尺を度外視し、感じたまま絵にしてしまうことだと言える。つまり表現そのものだ。
以前も書いたが、私は
ポリゴンの物理的正確さ(パース、サイズ等々)が表現の制限になる、
と思っていて、なかなかポリゴンを使ったゲーム制作に入らずにいる(※1)のだが、
鈴木氏の著書を読んでわかったことは、
そういうアニメで宮崎氏がおこなっている自由な表現が、
ポリゴンを使ったゲーム機プラットフォームでは、制限が大きすぎる
ということで
さらに言えば、
空間を正確であろうとする、海外の文化の上で作っている、つまり、
日本の文化土壌の外で作っていることになる。
鈴木氏の著書を読み進めると、ゲーム業界についての記載(※2)がある。
「かつては日本人の誰もがゲームに群がったほどゲームが好きだったわけでしょう。
それが、現在はヒット作が出ないと悩むほどに変化した。うまくいっていないわけです
その原因の一つには、モーションキャプチャーの多用にあると僕は思う。
やはり日本人は、リアルさを追い求めた立体よりも二次元の表現が好きなんですよ
二次元の絵で誇張された時間や空間の歪み。これがかつてのゲームにはあったわけでしょう。
人間の動きをコンピュータに取り入れてCGでキャラクター化しても、それは立体の部分でしかない
もしウケるゲームを作ろうとするなら、ショットごとにどうやって時間や空間の歪みを行うか、
誇張を獲得するかを表現として考えなくてはいけないと思うんですよ。
今ゲームがやっていることは、昔のハリウッドの映画的な作り方ですよ。
日本人にしてもそうだし、アメリカ人にしても正確に捉えた人物像とか立体には飽き飽きしていると
思うんです。その作り方ではヒットするゲームは生まれない。
CGとデジタルを使い、どうやって誇張した表現を作るのか。ここに、これからのゲーム業界の課題が
あると思うんです。これからの日本のアニメーションの方向性を思うと、現在のゲーム業界のように
なってほしくないですね。ならないとは思いますけれど。」
ショットごとの歪み、については先日ヤマトアニメについて書いたことそのものだ。
ここで言われているハリウッド的な作り方、という言い回しには、UBIソフトの台頭を思い出した。
現状、PS3もXBOXも海外のソフトばかりだ。
正確な3Dゲームである以上、得意な彼らが抜き出でるのは当然と言える。
ゲームにおいては、使っているポリゴンツール自体が、誇張表現を許していないし、
それらを表示するコンシューマ機上でもカメラや描写は正確に描かれるし、
作り手は、マジメにも、
ノコノコとそれらのツールを使い、その上で のたうちまわっているように感じるし、その
のたうちまわり具合が開発費に跳ね返っているだけのようにも思う。負け戦なのではないか。
かつて、韓国にハリウッドが進出しようとしたとき、
韓国映画界が猛反発し、結局断念したことがあった。
「映画館もタダで作るのに理解ができない」と撤退側はコメントしていたが、
韓国映画界は
「その映画館でハリウッド映画をバンバン流すんだろう。そんなことをされたら韓国映画はひとたまりもない」
といっていたことを思い出す。
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昨年発売になった、Q-gamesの SHOOTER は、流体のアルゴリズムを自社開発しているし、
かつて NHKの YOUで、坂本龍一氏が
「この中で自作楽器を持ってきている人居ますか?既存の音に飽き足らず作ってしまう、それがセンスです」
と言われていたように、
日本文化にそぐう立体ツールの構築
や、せめて、
日本文化における、ポリゴンを使ってのゲームの誇張表現、というもの
を探究しなければいけないのではないか。
2次元がポンと立体になる、六角大王など今思えば日本的だ。
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ただ、ゲーム表現にそぐうようなポリゴンの誇張表現は簡単ではない。
例えば、私が長年追い求めているVJ一つとっても、
その場で映像を生成するのは非常に難しくなかなか答えが出ずに居る。
VJにおいて映像を生成するには、素材を組み合わせて一枚の動画を即興するわけだが、
それは、今思えば、
動く何かしらの素材を組み合わせて絵を作る、つまり即興でゲーム画面を作ることに等しい。
個々の絵の情報の多さによる組み合わせの制約、抽象化の難しさに直面し、
結局、
色とりどりの 無難な三角や丸がリズムにあわせてダンスするしかない
なら、
ダンサーに踊ってもらったり、照明を巧みに操作するほうがよほどうまくいくという結論
に行き着いてしまう。
つまり、
単体で完結しない、有機的に組み合う総体としての表現や手法が必要となるように思う。
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アニメでは、
そういった正確な立体の扱いを、
手書きでは難しい固体物、つまり軍備、車、武器、オペレート画面などに特性を活かして使用し、
一方、人物などの描写には手書きを用いる、
という
したたかに取り込んだ方法がスタンダード化している。
そういった点では、
ポリゴン黎明期の、バーチャファイターの1D構造におけるカメラの寄り引きは発明に等しいし、
近年ではトルネコなどに見られる、ポリゴン自体をキャラ配置する古典構造化、など
やりくりはある。
だが、それらはポリゴンをアスキーキャラの代わりとして扱っているにすぎず、
ポリゴンの特性を、表現として利用しているわけではないから、
表現としてより極める西洋文化にはどうしても席を譲る結果になっているように思う。
だからこそ、
「ワンダと巨像」が出たとき、
仮想のバウンディングボックスではなく、ポリゴンの外側そのものが境界になっているアタリを持っていること
に私はいたく感心したことを憶えている。
ポリゴンそのものがゲームシステムにきちんと絡んだのだ。
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宮本茂氏が3Dに進むとき、「お前もそっちに行くのか」と横井軍平氏が語ったほど、
突き詰めると日本文化の表現から離れかねない3D立体の文化。
そこで問われるのは、
自分たちは本当は何をやりたいのか、やりたかったのか
ということだと私は思う。
アニメにおける「手書き」は、ゲームではなんだったのだろうか。
忙しい時に限ってpcの調子が悪くなる。
作業に支障がない限りはふるーいpcを使っている。性能どうこうよりも、さっと仕事に入れることが大事なのだが、もう10年も前のマザーボードなので電解コンデンサが膨れてくるらしい。
同じマザーはまず手に入らないし、困った末、気付いた!
だったら電解コンデンサ交換すればいいんじゃないの?
ということで、
秋葉で買ってきて交換したらあっさり直った!いーですねーアナログな感じで。
文化庁メディア芸術祭視察
新しいメディアの展示にも関わらず、一目でわかるような工夫がない。
また展示せず映像のみな展示も多い。動画などwebで見れる。来場の意味がない。
texmoca(HP / 著者HP)
蒸気を使ったボロノイ。ずっと見てた。すばらしい。
商業施設への設置だけでなく、個別カラー化と縮小化ができれば、液晶ディスプレイなこともできそう。
マイクロソフト、アクセシビリティー担当、細田和也氏講演。全盲の方からみたwebサイトはどういう問題があるか。。
非常に面白かった
ちょうど1月のプロフェッショナルで、読み上げソフト開発の浅川智恵子氏の番組があったばかり。
それにしてもなんというポジティブな生き様、問題点を笑いにできる。見習わなければ。
また倒れた。たんぱく質摂取を怠ると筋肉を消費し、そのため動けずにいるとさらに基礎代謝を消費し追い討ちをかけることがわかった。基礎平衡に戻るまで週間(筋肉の再生に必要な時間分)かかることになる。これは筋肉痛が回復する原理と同じ。
KORG MS-20
先日、DS-10が発売されて話題になったが、その大元のシンセ。
先日楽器屋でみかけて、触ったら1時間以上触ってしまい、これは買うしかない、と購入。
パソコンを触れないので、これはちょうどいい、とばかりに
GRAVSPHEREの効果音作成!
これが楽しい!音が気持ちいいのだ。そして二度と作れないのも哀愁があってよい(笑
サクラが必要なのは、サクラが居ればそのストリートバンドが価値があるという目でお客が見るからで、
物事の判断は、そういった人のデフォルトの判断ボーダーというものが左右する。
だからこそ広告は、名前や企業ロゴを憶えてもらうためではなく、人の基本ボーダーを変質させるために行う。
つまらないと思ってみればその価値は見過ごすし、何かあると思ってみれば、大抵なにかあるが、
かといって、まったく何もない事が重なると、つまらないボーダーになる。難しい。
アニメ空中ブランコで、精神的に参った人が見えるのは黒い得体の知れない動く何かだ。
それは何から出来ているかはわからない。参った人が見ている幻影は現実にはないものだ。
海外では、ちゃんと黒の煙になる。象徴として襲ってきたり悪魔になってワハハと笑ったりする。魔法でも炎が人の形になる。つまり砂とか水とか炎とか、ちゃんと実在している物質に落とされる。
チャッキーも人形として動く。家具が襲って来ても家具自体は破綻しない。
3Dツールでは、まずポリゴンから作り絵を貼る。光源があり陰がある。どんな形であれ煙でさえ固形物であることが前提となり、実在を強いられる。そこからすでに文化の前提が異なるのではないか。。
つくづく思うが、
日本文化は自分視点を許容する、いい意味での甘えの文化上にあるのだろう。
ならば、世界展開・グローバル化は、その対極にある。
鎖国こそがしたたかさかもしれない、とふと思った。
大量生産ではなく、ブランド。
届けるのではなく、来ていただくのだ。。
ふと気付いたが、
面白さ、とは差異(時間軸上の変化)である。
だから、面白いところだけ抜き出すと面白くなくなる、のだ。
しかし抜き手は、脳内で補完されるため気付かない。
プログラムにバグがあると動かないが、
実は
ゲームのアイディアにもバグがあり、
よって、
「良い、悪い」
という判断とは別に、
「間違っている」
という判定も下すことが可能だ。
よって、デバッグすることで面白くなる、ということでもある。
子供にとって、今が全てである。「後で」はありえない。とにかく今である。
私ら年を重ねると、すべてあとでになる。あーとーで。
「今」はとにかくしんどい。「今」とは体力なのだと思い知る。
よって、
数知れぬ保存領域と延命措置を駆使できる中、
どれだけ先送りせず今に突っ込めるか?
が死活に直結するといえる。
もちろん今に突っ込まなくても生きていける。
しかしそれは、
現代社会の中で数限りない、目に見えないワナのうちの一つに過ぎないのだ。
残念ながら、人間は自らの身体から自由にはなれない。身体の望む方向に心も行動も沿って動く結果になっていることを痛感する。
よって、川人さんとは私は見解が異なるのだが、
私には、
脳に差す形とネットワークによる、身体(視覚と操作)の無位置化
が現状の理想だ。
つまり、地球を身体化することでその制約を超えるイメージ。
ただ現状どうあれ
免疫(※3)の問題があるため、
生体構造(生物など細胞を使った回線構築整備)による社会的なインフラ
生後時の埋め込み等(予防接種と同等の扱いによる制度化)
も必須だし、
専用プロトコルや使用免許制度(車は免許がないと運転できないのと同じ)
などが
必要かなと考えている。
iPhone版 GRAVI SPHERE発売。app store
米チャさん(HP)絵+プログラム(さすがです)、私TPM.CO監修。
石を選んで傾ける、というインターフェイスが浮かんだのが発端。
私が作ったのが1986年でもう24年前、時のーすぎゆくままー
物理的に不可能。寝てないし。
XBOXやPS3といったハードを触っていると、無料版がダウンロードで試せるので、
「パッケージいらねーな」という気分になってくる。
ほとんどのゲームに無料版がある中、
日本のゲームはお試し版がなかったりする!
んですね。
そうなると、興味があっても、試せないので、スルーして、忘れてしまう。
特に、シューティングゲームは、市場でも値段が結構するから試しに買うなんてできないし、
HEY(※4)とかでやっても一度ではわかんないから2回はやらないしで、
だからこそ
お試し版、ってすごく大事なのに、なんと閉鎖的なんだろうと思う。
ステージ1だけでもプレイできればいいのに。機会損失ってこのことだと思う。
事実、私は、
PS3の STAR STRIKE HDという惑星シューティングのお試し版やって、
欲しくなり、
(明日閉店になるが)新宿のさくらやまで、PS3のポイントカード買いにいったほど。
あ、欲しけりゃ人間面倒とか飛び越えるんだ、と思いました。
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これまでパッケージは、いわゆる「ビニ本商売」同然だったわけです。中身を確認させずに買わせる(※5)。
でもそれが許されたのは、アーケード時代の記憶と、淘汰され選ばれたもののみの市場がゆえ、お試し版なくても大丈夫という信頼があったからで、それがもう不良債権化してきた。
遊び方の多様化やハードの高機能化もあるかもしれないが、
とにかくもうファミ通とかで広告を数ページ展開するとかして注文もらってとにかく店舗に並べないとしょうがないみたいな。店にないと検索にひっかからないのと同じ扱いになるがゆえ。
それがダウンロードだと「遊んで面白かったら買う」という本来のゲームを買う動機としてまっとうな形になっているわけで、ダウンロード販売とは、定価で売れる、中古がない、という利点以外に、面白いものだけが生き残るという非常にいい面があるんだなあと気付きました。
ただ、一方で、販売サイト自体が一定の基準や判断、昔でいう雑誌的な役割を持たないと、App storeみたいに、ランキング入らないともう売れないみたいになるわけです。さやとりを販売サイトがしないとアタリショックになる。
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そんな中、お試し版がほとんどない、xboxのシューティングだけ集めたイベントが秋葉であるとのこと、時間を割いて視察に。パッケージ至上主義な印象のシューティングは、どういうつもりなのかという。
なんかもうプレイできず。
入り口で、プレイ用メダルを3,4枚渡してプレイさせればいいのに、と思った。そうすれば選んでプレイするから回転も早いでしょう。もしくは、上手い人用、やったことない人用、と2台設けるなど。
まあ、普通のプレイアブルイベント?。これだとマニアしか来ないんじゃないのかなー。私は仕事としてだからいいけど(いやよくない)
新宿さくらやホビー館最終日、
XBOXの年間ゴールドシップを買って多少寄与しようかと思ったが、なんかもう人が一杯でそれどころではなかった。
中古は新宿Liberty(12月閉店)、
新品はホビー館
が
ここ十数年、
それなりに動向アンテナだったので、困ったなあ、というところ。
特に、このホビー館は
店舗の外に、3台のプレイアブルディスプレイがあって、
HMVのインストアライブみたいな、要は企業プロモーションの場としてもいい場所だった。
いや残念。
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このページでは私の成果、発見のみ記述しております。
※1
ポリゴンを使ったゲームのアイディアも もちろんあるが、意義が見えないのだ。
※2
映画道楽、鈴木敏夫著、発行ぴあ、P237より、著作権法の範囲内で引用
※3
2通りある。身体の国境(拒否反応)免疫の対処と、差した場合の免疫脆弱性の問題。常時服用は避けたいので「挿し木」かな。となると、免疫遺伝子組み替え?かあ?
※4
秋葉原HEY、高田馬場ミカドなど、アーケードシューティングのメッカ
※5
そういう意味では、NEWスーパーマリオBrsの、2人同時プレイのCMはゲームそのものの宣伝なので、非常にまっとうに思う。GREEの釣りゲーや、モバゲーの怪盗ロワイヤルとかもそう。
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