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先日オブジェクト指向と古いゲームフォーマットは相性が悪いと書いたんですが、
では、
相性のよいゲームとはなんじゃろな、となんとなく考えて見つかるのが、
ライフゲーム(iPhone App)とか
Lot Lot Lot(HP)などですね。
周囲を調べ、周囲の状態に応じて自己の生死が決まる。
何よりも、その決定に対して外部からの干渉がまったくなく、それが隠蔽化されたオブジェクト指向そのものかと。こういうときはこう動け、このときはああしろ、みたいな天からの指令はないわけです。
これは、現実の社会なんかがまさにそうで、外部からの圧力でその人の行動を変えさせることはできても、本人の思考を変えることは物理的に隠蔽化されているので決してできないわけです。
とすれば、
たくさんのプレイヤーが参加し、
外側からの影響、例えば罰則やルールを変更することで自発的に行動を変えさせるような、
つまり
隠蔽化されたオブジェクトに外からコードではなく条件で制御しようとするオンラインゲームのような構造が、オブジェクト指向にそぐうゲームといえるのではないか!と。つまりネット時代のゲームの形。
以前も書いたかと思いますが、
オンラインゲームでは、作品ではなく、政治、になるんですね。ログインしているユーザーたちをどう統治するか、という運営の問題になる。ルール、つまり法律を変えて参加者の行動を制御しようとする。これは、これまでのゲームが、作品として作者の世界を体験させ快感を伝授していた、作者による遺伝子伝達とは根本的に異なる構造であるといえます。
このところ騒がしいtwitterなんかは、まさに個人遺伝子の伝授メディアとして非常に適切な構造をもっていますので、ゲームがオンラインに移行しつつある今、別途台頭してきてジャンキーまで出ているのは、
ゲームや音楽等々として作品化しないと伝えられなかった自己遺伝子が、twitterで簡単に広く伝えることができるようになったから、といえましょう。あっというまに弟子がついて、教えも与えられる。ナイスなメディアですよ(笑
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というわけで、一時期すごく流行った、物理演算を使った崩れる系のすごくつまらないゲームなんかも、オブジェクト指向な作り方としては非常にまっとうで現代的だったんだなーと今なら思いますね。弾幕シューティングなんかもそう。弾とか敵とか一度出たら自走式(まあボス前撤退とかありますけどね)。古いフォーマットのゲームでは、数が多いと管理の問題が出ますが、オブジェクト指向の場合は多ければ多いほどその特性が生かせるじゃないかと。。(面白いつまらないは別にして)
今朝料理してて気づいたんですが、
鍛錬された運動神経群に、左脳が着火してマルチタスクを起動させてるんだな、ということです。
つまり、
例えば、自転車に乗る、水を汲む、逆立ちする、計算する、といった各挙動モジュールというのは、長年訓練されていて、起動さえさせれば即シーケンスが開始できるわけですが、その起動においては「あれやろう」と思うも間もなく、無意識にパインッと起動します。
そう考えると、最も効率がよい脳の使い方は、
いわゆる体育会系の脳筋肉が実行部隊を担い、左脳的な思考部分は発火のみを分担する、というのがいいバランスなんだな、ということです。
つまり、脳内の運動神経的な部分に、挙動実行訓練を叩き込んでおけば、あとは状況に応じて着火して回ればいいだけ、という状態が最も効率がよい、ということです。
しかも自転車の乗り方と同じく、一旦習得すると長年保持される。
「あれなんだったかなー忘れちゃったなー」ということがない。
よって、例えばプログラムにしてもゲーム制作においても仕事においても、
右側に叩き込む訓練をしておき、あとで着火するだけにしておく、というのが理想
ということですね。無意識下の方を訓練する。
一般的に新入社員研修とか弟子入りしてしごかれる、というのは、まさにこの、無意識下に叩き込むことをやっていたわけですね、今思うと。
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で一方個人の場合は、
自分で自分をしごけないので、
意識的に記憶しようとはせず、反復して浴びせる感じでやるとよいかと思います。
思考せず繰り返し。脳への記憶過程で淘汰させるという感じ。百ますの岸本さんの法則でいえばそれを100日やれば根付く。
野口整体(HP)では錐体外路系と呼びますが、それを、身体的なこと以外の、現状左脳部分でやっているような理系活動をも右側で処理させられるのではないか、というのが今日の確信です。
「鳥を見た」のリーダーなかおちさとさんが入院し、
その代役として
世界的に著名な灰野敬二さんと、いきなりのステージ。
彼のスリルある声に狂喜乱舞、無我夢中でスネアやハットを叩き込んだ。ひざには青あざがいくつも。
当日の合わせだけで、ここまで灰野さんとスリルを共有できたことは驚愕に値する。
これまで私にお付き合いしてくださった数多くの方々のおかげだと思う。本当に感謝に絶えない。
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一方で、
自分たちがいかにヌルく責任のない演奏をしていたか、そして戦うための明確な武器が必要だということもわかった。
苦境に陥ったとき、
灰野さんが一刀両断するのをただなすすべもなく見ていたのが本当に悔しかった。
そして、
なかおちさとさんの、灰野さんとは対照的な、かすかな歌声のよさもよくわかった。
彼あっての「鳥を見た」なのだな、と。
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このページでは私の成果、発見のみ記述しております。
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