|
記憶とは情報の羅列ではなく、広大な砂漠のどこかにある都市のようなものだとわかった。
多くの人が住み、生活をし、うごめいているが
全体としての形は保っている世界、である。
そこを訪れれば、住人の話題になり、会話もするだろう。
とすれば住人の記憶も行動も変化していく。。
アクセス自体も変化の一因になる。
--
私たちが普段行う、メモ、記録、すべての外部の記録は、
そこにたどりつくための条件、
言うなれば道しるべにすぎない。
記憶には、言語化できない膨大な情報が付随している。
憶えている
ということは
滞在している、ということであり、
忘れる、
ということは、
そこへの行き方を忘れただけにすぎない。
本当に忘れているなら、外部記録を見てもなんのことかわからないだろう。
すべての記憶は無くなることなく存在している。
10/16 6:24 モノ作りの素晴らしさを正しく伝える |
モノ作りとは、
悪いものを削り、いいものを残す
その工程、つまり編集である。
何がよくて何が悪いか、それがわかることがセンスである。
センスとは、
自分の力で何かを作り、己の限界を知った上で、
それをはるかに凌駕する作品を見て
その完成度と己との差に愕然とし、
そこまでできるのか、と奮い立ちさらなる努力を重ねていく過程である
つまり、
いいものをたくさん見ることも大事だが、
まず自分の力でとにかく作って挫折や限界を経験していることがないと
いいもののすごさもよさもわからない
オリンピックなどのスポーツ、北島選手やイチローなど感動を生むのは、
日々使っている私の体との比較ができるから。
つまり、
己の限界が、いいものの価値を見せてくれるのだ。
だからこそ、落ち込んだり、挫折感を感じたり、限界を感じたりする感情はすごく大事なことだ。
その感情がなければ、努力しようとも思わないんだから。。
---
人間の脳の素晴らしさは、
先天的なもの、つまり遺伝子的な組成構造および変化性質だが、
同時に、
後天的に蓄積していく情報、つまり、文化的な学習に負う部分が半分くらいあると確信している。
その後天的な学習は、人類が地球に誕生してから、綿々と親から子へ、子から孫へ受け継がれてきた知恵という情報である
知恵の生成過程は、
その時代時代の経験から会得し、個人個人の中で精製され蓄積されていく。
また、先人からのたくさんの生きる知恵も、同時に受け取る。話し方から人づきあい、理由はわからないがそうしておけばうまくいく何か。それらは、見よう見真似で受け継がれていく。目の前でうまくいっているやり方は印象に残るしすぐ真似ができる。
そういった受け継がれていく、いわば文化的な遺伝子は、生体的な遺伝子が自動的に遺伝していくのに対し、
人力的なので、伝えなければ受け継がれず、絶滅する可能性もある。
---
ワンピースを書いた著者の尾田栄一郎さんが昨年朝日新聞(2009.11.21)で取材を受けた記事がある。
単行本では、読者の質問コーナーが名物で、作者自らボケたりツッコんだりしている、という問いかけに、
「子供のころ好きだったマンガにそういうコーナーがあったのに、途中でなくなってガッカリした。だから自分はやめない。僕の基準は一つ。自分が子供のときマンガを読んで楽しかったことを全部やって、イヤだったことは絶対しない。それだけです」
と答えている。
つまり、ゲームを作る私らがするべきことは、
かつて私たちがゲームを投稿し作っていたとき、楽しかったことや刺激を受けたこと、そういう素晴らしいものを、正しく伝えていくことだ。
歴代のウルティマの開発者さんが書いた、ゲームコーディングコンプリートという本が今年出たが、
そういうゲーム制作の楽しさを本当に正しく伝えていて、仲間が居たよ!と本当に嬉しかったことを憶えている。
特に今ゲーム業界は、
自分たちのやり方が通用しなくなって右往左往している。
だが大事なのは、
もともと自分たちが、どういうゲームを作りたくて今こうしてここにいるのか思い出し、
素晴らしいものを正しく、次の世代に伝えていくことだと思う。
自分が伝えないということは、自分の場所で、ゲームのよい遺伝子を絶滅させる、ということに等しい。
いい遺伝子を伝え、悪い遺伝子を伝えない。それを今遂行すべきことなんじゃないかと思っている。
情報は、そのままだと「他人のための情報」であり、自分の役に立たない。
それを自分が使いやすいようにチューニングする必要がある。
道具で例えるなら「自分が使いやすい長さ重さ形にする」ことである。
眼鏡を例に考えると判りやすい。
度数、大きさ、重さ、デザインに至るまでパーソナルなものだ。自分に合った状態で、きちんと見ることができる。
チューニングの過程を経て、情報は「知識」となる。
知識となった情報は、他人に独自の例(例えば時事など相手が理解しやすいもの)を使って説明することができるし、その知識を使って世の中や物事を正しく(※1)読み解くことができる。
知識とは自分のためにある。
自分のため、とは、すべてのしがらみや条件、環境を考慮しないと仮定したときに見えてくる、
自分が本当にやりたい根源、のことだ。そこがすべての判断基準となる。
そしてそれが何なのか、
探すことが真の自分探しと言える。
それには「これだ!」と思える、一生費やしてもいいという強烈な手ごたえがある。
偉業を成し遂げた人は例外なくその体験を持つ。
人生において、なるべく早くそれに出会うことで、
以後出会うすべての情報や出会いを、その基準に効率よく集約し、より促進することができる。
出会えていない時期に受け取る情報は知識にすることができないが、
脳の末端に一時「情報」として記憶され、
後日
自分の内なる価値が決定付けられたあとに、
脳内で刺激されたタイミングで自動的に知識に更新されていくことになる。
ただし、体系付けられていない情報は長く記憶することができないので、外部記憶装置や外部検索システムを活用することになるが、脳の、素晴らしい記憶や検索や統合にはかなわないし、
そのままの情報は、その情報を作成した人のために機能する。
自分の脳は、自分の目的に添って最適化チューニングされた最も最速のデバイスなのである。
|
|
|
このページでは私の成果、発見のみ記述しております。
※1
正しい、とは、本人が生きのびるためのルールに則っているか、の尺度である。つまり普遍的な正しさは存在しないが、同じ人間という種の上での正しさ、というものはある。文化的な正しさも存在し、その境界線が国境となる。
|
|