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夜の道は生VR
調子がいいと、開発で固まった体を解放するために夕方自転車で走る流れになるのだが、この日はいろいろ押して陽が落ちてしまってから山に入ったら真っ暗で進む先も見えず、いつもの記憶で山の中を走るスリリングな感じになったのだが
暗闇の中で周囲が見えにくい中の移動は浮遊感があり、これはリアルでのVR体験だなあと思った。
それを考えれば旅なんかは探求のVRであり、今後実体験のない世代がゲーム製作を占めるようになってくると、旅がおそろしく面白いゲームに感じるという揺り返しが来るだろうと思う。実際私もすべてをpcの中に収めようとしていた時期を通り越して今は隙あらばアナログの方に傾倒しつつある。情報量を削ってまでしてpcに収めようとしていたあれはなんだったんだと。そういう意味では、こういった日記を記載する意味も失われつつあり、以前は孤立無援な自分の行動の再確認などがあったが今やもう物理的確証があるので必要ないし、あとは将来の自分が迷ったときの道しるべとしてどういう問題にどう対処したかの記録を残しておく機能くらいだ(なので定期的に更新されにくくなっている)。
ここ何年かずっと遊んでいるFilterBankと相性のいい人をずっと探していたのだが、せんがわで意気投合してた二人とスタジオに入っていきなりトリップな演奏になった!演奏している間中どこかに旅をしているような感じなのだ!
またお二人ともレスポンスが早い上に微細な波形にも反応するスキルがあり、波形を駆使するfilterBankといきなりコミュニケーションをとれたのには驚愕で世の中は広いんだなあと思った次第
テイク2 youTube
テイク2の続き YouTube
テイク3 YouTube
途中ふと思いついて声をいれてみたが意外な面白さに。もちろん私の声は素人声なので恥ずかしいわけだが音程ニュアンスなどコントロールは楽器よりもしやすくのみならず波形レベルまで微細にコントロールできるのは強力なアドバンテージだ。声質だけ作れる楽器?があればよいのだが。終わってからのミーティングで聞くとやはり複式呼吸が大事だという。訓練だな。。
砕け練。曲はギターボーカルの作詞作曲で音源もあるのだが、練習していて気づいたのは、答えはすべてここにあるんだ!ということである。拾えさえすればいい。これが判ったときに同時に「勉強とはなんと簡単なことなのだろう!」と気づいた。
世の中には、答えがなくどうしたらいいかわからないことがたくさんある。ゲーム製作もそうだ。面白くなるのかこのまま作りつづけるべきなのか。人間関係もそうだ。どう思っているのか言っていいのか悪いのか、状況も違い性格も違えば答えもやり方もまったく異なるわけで正解などない。そういう中で、やり方が示され習得さえすればいいという「勉強」という手段。幼き頃から忌み嫌っていて人々に嫌がられている勉強は、やれば目的が得られるなんと簡単な分野なのだろう!と!スゴイ!誰も教えてくれなかったなあ!
無名の芸人名104名を憶えられるか?という番組
達人にいろいろムチャな挑戦をさせる「ならデキ」という面白い深夜番組だが、この日は記憶の達人は無名の芸人の名前104人をその場で憶えられるか?という検証だったが、驚くべきことに彼はすべて憶えてしまいしかもまだイケルとまで言う。
その記憶方法は、例えば「片倉ブリザード」という芸人名は、「伊達正宗の家来に片倉小十郎というのが居て、そいつが吹雪(ブリザード)の中突き進んでるイメージをした」と答えている。
この記憶法から導けるのは、
人は自分がかつて記憶した記憶に新しい記憶を関連させると忘れにくいということである。かつての記憶が残っているというのはそのシナプスに常に電気信号が来ているということであり、そこに繋げておけば当然養分(電子)が来るからである。
例えば私は非常に奇抜な夢をよく見る。非常に鮮明な景色だがすぐに忘れてしまう。夢は連想の果てなのでその奇抜な映像は記憶と関連が薄く記憶しにくい(正確にはリンクを持ちにくい)。起きてその場でメモをしたりスケッチしたりしてもかろうじて残るか残らないかだ。よって、アイディアなどの思いつきもそうで、連鎖連想した結果あるひらめきが生まれるのだが、それは夢と同じく突拍子もないものなので記憶しにくいものだからすぐメモが必要だ。なので、よく「すぐ忘れてしまうアイディアはたいしたことがない」というのはモノ作りにおいては誤りであることがわかるし、アイディアというのは自身の膨大な記憶がお互い連鎖しあって奇跡的に突如出現する現象なわけで、記憶を外部化するなどもってのほかであることも判る。検索を日常化せず脳内に保持すべきであり、つまり「憶えていないような記憶はたいしたことがない」と言える。人間自分に興味のないことは憶えておけない。そしてそういう意味では日常的にSNSなどの情報にさらされるというのはその淘汰過程を乱し、本来自分の興味のないことを常に目にしアップデートされ自身にとって価値があるかのように勘違いするという誤作動も生んでいるともいえる。まあそれこそが「宣伝」の目的なのだけれど、作り手ならばそういった危険性も知っておく必要があり、時には距離を保つことも必要となる。
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このページでは私の成果、発見のみ記述しております。
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