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日頃の行動をメモ。消しゴムで消して作品へと昇華する前の、日々の下書き。
This is my dairy memo. These will be a work after brush up process. .




    2016.MAY

5/15 斬新ということ

海外からの依頼で新たにゲームを作っているわけだが、知らない言語、知らない環境で作ることはまことに面白い。まあ仕事にしろ何にしろそういうことがほとんどなわけだが(笑)やったことがないことほど面白いものはない。

広告の裏に書いた思案の跡

斬新さ、というものを何で測るか?といえば、それは、

何か追加するたびにやったことのない判断を迫られるかどうか?

で測ることができる。

最初は軽い思いつきでゲームのデッサンをし実装していくわけだが、
ちょっと要素を追加するたびに、これまでのルールと違う土壌で動いているため、既存の解決策が通用しないのだ。
そして、そのときの選択肢についても、どっちに進んでもそれがどうなるかがまったくわからない上に、
あきらかにその判断によってゲーム全体も大きく変わってしまうこともなんとなくわかるから苦悩を呼ぶ。

もちろん、新たなルールの上で思考していると非常に面白い挙動も次々思い浮かび面白くてしょうがないわけだが、
宮崎駿氏の言われる通り、構想段階では最高傑作なわけで、実装作業はあまたある可能性の分岐を一つに固めていくわけだから、気持ちとしてはこの可能性の満ちたわくわくのまま時間を止めたいくらいに思ったりもする(笑




5/12 モルガナ実験室

モルガナ実験室

主宰のヒゴヒロシさんにお誘いを受け参加。
リハ風景

当日初めて会う人といきなり15分くらいのステージを成り立たせるという、jazzArtせんがわよりは加藤崇之さんのインプロぽい即興イベント。
エレクトロな人が多く、いわば減衰がなく疲れと呼吸がない楽器。またリズムよりはソロ感の強いsaxプレイヤーも多く、アコースティックでリズム主体なドラムをどう絡ませるかはかねてからの課題だがなかなか面白かった(笑)ヒゴさんは先日加藤さんgと大沼さんdrとのトリオで、その規定されないベースプレイに驚愕していたので、ご一緒でき良かった!



5/23 才能

TBSドラマ「重版出来」第7話



漫画家と編集者が織り成すドラマだが、一番大きなテーマである「才能の無い者の悲しみ」と「才能がある者の苦悩」を真摯にしっかりと描いていて、第一話からずっと積み重なってきたこのムロツヨシ演じる「沼田さん」が自分自身と向き合う流れは本当にすごかった。どちらであれ楽な道はなく、どうであれ あるべき自分との距離にのたうちまわる。これは漫画だけではなくたぶんすべての作り手に共通することだ。



すべてにいえることだが、本当のことは自分がすでに知っている。判っている。だがそれをどう自分自身に納得させるのか、それは自分だけでできることとできないことがあり、時が解決してくれる、ということに落ち着くのだろう。




5/25 鳥を見たmissions

鳥を見た@missions


この日は何を血迷ったか、出演バンドすべてにタイガがプレイヤーとして参加するというタイガfestival企画。
幸い鳥は前の方の順番で、彼が疲弊する前なのでとりあえず安心はしたが、本番はとんでもないところでなかおさんが歌い出したりすれ違いが結構あったりで、全体的にボリュームが大きいとありがちな状態。ラストのroosterに至ってはバンドが一体化してないのに盛り上げないといけない空虚さに無理を感じたが、そういうときはきちっとリズムを守りやるべきを叩くと間違いないのでそれに徹した。

終わってお客さん曰く、鳥はスリリングで面白かったとのことで、まあ確かにステージ上では成り立つよう必死にバランスをとっているわけで、それがショーになっているってことか!と(笑)

4番目は以前巛を組んでいた成毛bのトリオだが、打点しかなくリズムがまったくなくそれゆえブレイクがあってもまったく効果をなしてなかった。あとで聞くと、タイガがボロボロでなんのために演奏してるのかとなったので2人で攻撃していたのだと言う(笑)なるほど、タコ殴りしてたのか。。そう思うと面白い演奏だった(笑)

最後はdisk unionからCDも出してる山崎怠雅クインテット。ドラマーさんの采配が非常に素晴らしく、バンド全体もドラムの音を注意して聞いているのが判り、またドラムも曲の終わった感に至るまでの組み立てもなされており、聞けばプロだという。鳥でもそうだがドラムがダイナミクスを制御できる状態(ドラムが一番大きい音をバシッと出したとき効力があるような全体の音量)が保たれているとき全体の演奏は非常にシャープでコントロールが行き届いたものになる、そのお手本のような演奏だった。





5/26 資本主義の楼閣

ひさびさに岡ちんと会って話し。彼が最近なぜか経済学の本を面白く読んでるというので、私の仮説を聞いてもらったらあながち外れてもいないとのことなのでその話を書き留めておく(笑

それは「経済の繁栄は、インフレによって生じた差額でしかない」
というおおざっぱだが面白い仮説だ。かなり昔にブルーノート東京に向かって歩いている途中に見かけたおしゃれなバーの照明をみてハッと気づいたことだ。

例えば、給料が2万円の時代に1000円借りたとしよう。利息はとりあえず置いておいて、あとで1000円返せばいいわけだが、インフレが進んで、給料が20万の時代になったらどうだろう。



インフレしたんだから10000円返すべきだが、額面は1000円でいい。すると9000円の儲けとなる。
これを高度経済成長の時代に当てはめてみると面白い。バンバン借りてビルを建てる。そしてインフレさせていくと、返す額は減っていくので、さらに借りてビルを建てたり投資したりすることで国が栄えていくわけだ。

つまりポイントは経済が成長するくらいの速度でゆるやかにインフレさせていけばいいということになる。そんなウマイ話があるかい!と思えるわけだが、資本主義自体は生まれてまだ大して経っていないから成り立っている、と思える。例えば年金がなり行かなくなるようにいずれそういう錬金術も立ち行かなくなるはずである。実際インフレが進みすぎて破綻している国は今世紀になってちらほらある。あれがゴールということになる。



じゃあ資本主義の前は何だったか?といえばずっと「奴隷経済」である。他人を無償で働かせて搾取する。日本が今経済的に行き詰まっている中、ブラック企業バイトが普通になってきた。つまり、インフレさせられず差額が生めないと、過去に戻る、つまり奴隷経済になるということを示しているといえよう。


そもそも、国民一人一人が生み出せる利益はたかが知れたものではないか?という疑念が私にはある。そんなにビルがバンバン建つほど個人が生み出せているのか?ということだが、そういう疑念を持ったときにこのインフレによる膨大な差額というマジックという発想はなかなか面白い俯瞰であると思うのである。上の図でいう黄色い部分が摩天楼ビルであり国家の繁栄なのだと




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