第五章
欲望のまま走る。ぐんぐん走る。突っ走る私らの行き先には水平線のごとく遠近法のごとき景色が見える。足元は荒れているけれど疾走にはなんのまといにもならない。表層は何の変化もなく疾走するが、皮膚の下層では疾走を止めてくれとばかりに激痛で訴える四肢と臓器の声と、交互に現われる心地よい疲れが乱れる。
背後から向かってくるスクラムを組んで迫ってくる武装軍団。彼らは近寄ると耳元でリタイアをささやく。止めちまえ。元々おまえには走る力などない。走ってなんになる。おまえは誰にも受けいれられない。
負ければこのキチガイじみた疾走は終了するのになぜ競争をつづけるのかわからない。この瞬間が替えようのないものであることを知っているが、なくなっても別に何を惜しむでもない。ただ、このままこの暴走は自分の身体精神に過酷なにもかかわらずゆるゆるな風呂に浸かっている感覚なのだ。
少し前はホテルカルフォルニアでゆるゆるお風呂だったが、世紀末現在に生きるヤングは高速移動する風呂に浸かってゲッチュウだ。のんびりとどまってゆるゆるは許されない。努力してゆるゆるが基本。しかもはるかに資本主義にそぐう気がするのさ。日本でうまれたんだもんね、やっぱ資本主義でしょ、資本主義。どんなに時代が変わったって努力した分なんかくれよって思うのさ。寝てるやつはゲットダウンだ。犬とまみれてろ!だね。さよなら。キミとは違う身体なんだ。
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