世の中に散らばるすべての要素の中に創作のヒントを見出すには、それなりの訓練が必要だ。 このページでは、実際の例から引き出すさまざまな方法を実例を用いて紹介します。あなたの創作活動の足回りになれば幸いである。 [1]感受性を高めるだけでなく 人の感じ得ないことを敏感に感じることが創作活動の第一歩です。今回は、先日直木賞を受賞した作家の村山由佳さんが番組でしゃべられたことを手がかりに感受性について話をします。 NHKトップランナー ゲスト村山由佳 (2003年10月16日(木)24:00〜24:45 NHK教育) 村山「サイン会に並んでくださっているとね、その外見がとかそういうことじゃなくって、ちょっとでも言葉をかわすと、「あーさぞかし生きにくかろうなあ〜」という人が・・。これは、なんというのかな、あの、とても傷つきやすかったり、感じやすかったりして、世間のこととか、あと、大人の汚さとか、そういうところに組み込まれたくないと思っているのに組み込まれていってしまう自分とか、そういったことが全部見えてしまうがために、つらいだろうな、見えなければきっと楽なのに、というタイプの人が多い気がするのね。」 人のしゃべったことで傷ついたり、あれこれ考えたりするのは、少ない要素から多くを感じ取れる能力があるからだ。特に音楽や創作活動をやっている人ならば、当然自分の身の回りだけでなく、世界の動きなどでも非常に敏感に何かしら感じ取ることができる。 たとえば、先週土曜日にラストライブを行った、ミッシェルガンエレファント、というロックバンドは、このトップランナーにも解散前に収録を行っている。そのときに、今年リリースした、世界を嘆くようなスローバラードについて「やはりテロですかね・・無視できないんですよ」と話をしていて、その直後、解散宣言をしている。 多くの人たちが誤解をしているが、誰もがテロにショックを受けた、と言いつつ実際は「テロ」ではなく、「アメリカに武力行使され、それを武力以外で誰も止められなかったこと」に無力感を憶えている。ライブで何万人も人を集めて熱狂させても戦争は止められない・・・。それならバンドを続けることはお遊びでしかない、そう悟ったのだろう。感受性が豊かでないなら、テロもイラクも他人事だから苦しむこともなかった。 つまり、感受性が豊かである、ということは諸刃の剣である、ということだ。 感受性を高めれば高めるほど、世間のよろしくない流れや動き、人のイヤな部分に対しても敏感になってくる。つまり、よろしくない世間に組み込まれて苦しみを感じるならば、正常な証拠であるのだ。 そして、それをどう克服するか、といえば、先日CLEATIVE MINDSで紹介した、悪いことをしていないなら強くなりなさい、という記事にそのヒントを見ることができる。 強くなる、というのは、イヤな世間に慣れることではない。イヤなことに慣れると、感受性は鈍くなる。 苦しいのは自分の感受性が豊かであるからだ、ということをまずは認識し、自分の感性を信じること。これが創作活動の基礎となり、武器となる。 *次回は、強くなるための方法に進みます。 (テキスト by TPM.CO)
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