ソフマップワールド「QUOVISの過去現在未来」より抜粋 木梨:(略)というわけで、挫折の真っ只中に居る人達に対して、何かメッセージはありませんか? 庄司:悩んでいる人は、今自分が考えていると思ってます。 木梨:「我考える、故に我在り」ですね。 庄司:ところが、悩んでいる人に限らず多くの人が考えるということを誤解しています。 木梨:人の営みにとって考えるということは最も大切であり基本的な事ですよね。その考えるという事に対して誤解をしているということですか? 庄司:そうです。考えるということは思い出すということではありませんし、分類したり当てはめたりすることではありません。悩んでいると思っている人は、実は考えていないから、堂々巡りをしていて出口が見つからないでいるのです。同じことを思い出しては、過去の経験に当てはめて分類しているだけで、それを考えていると勘違いしているのです。これも受験戦争がもたらしたものかもしれません。 木梨:では、考えるということを具体的に説明していただけませんか? 庄司:例えば、数学の文章問題があったとしましょう。この文章問題は、連立方程式を解けばいいのだ、と気づくこと、その営みのことを考えるということです。つまり、ツルだとかカメだとか足が2本だとか4本だとかといった文章の中に潜む問題の本質だけを抽出して、日常の言葉の持つたくさんの意味の不必要な部分に惑わされない形として表すこと、それが考えるということなのです。 木梨:でも、中学や塾では、たくさんの問題を解かして、経験を通してどういった手順で処理をしていけばミスなく答えが得られるかを身に付けさせ、問題がすばやく解けるように指導しますよね? 庄司:それが間違いなんですね。だから似たような問題は解けるけど、ちょっとその範囲を越えると、「思い付かない」わけです。つまり経験していないと解けないわけです。本当は経験していないことに立ち向かう方法を学んでいるのに、そちらの方がおろそかにされているわけです。ですから、連立方程式の文章問題を解ける人を、考えることの出来る人ということもできないでしょう。さらに、時間内で何問解けるかを競わせても、考える能力を査定することにもなりません。 木梨:でも、こういった言葉もありますよね。「人生の問題は、数学の問題のように簡単ではない。それに数学の答えのように1つではない」 庄司:よく聞きますね。 木梨:どう思われます? 庄司:そんなことを言った人は、正直いって馬鹿ですね。そういったことを言う人の使う「数学」という言葉の意味は、その人の個人的な経験であって、数学ではありません。知りもしない範囲のことを例に上げることを見ても、その人が考えていないことがわかります。そういった人に、その人の人生問題の中に潜む核心的な部分を抽出することは到底できないでしょう。思い付く日常的な言葉や小さな範囲の経験に惑わされて問題は複雑だと勘違いし、自分のプライドや意地に固執するあまり出口に気づいていながらその方向に進めず、堂々巡りしているわけです。それを悩みだと勘違いしているなんて滑稽です。たいていの悩みは、「自分が未熟だった」「自分が悪かった」と気づくことで解決できるほどシンプルです。また人生問題の解決案は1つではないと言ってみたところで、どうせ1つしか選択できないのですよ。おもしろい話があります。うちの会社では、新入社員に水泳をしてもらうことになっています。 木梨:どうして水泳なのですか? 庄司:溺れるかもしれないという恐怖は生命に関わる恐怖だからです。 木梨:それで。 庄司:たいていの人は50メートルくらいしか泳げません。泳げても100メートルぐらいです。そういった人達に1週間以内に1000メートル以上泳げるようになってもらう、と言って足の立たない部分のある広い50メートルプールに連れて行くと、強烈な拒否反応にあいます。「そんなの不可能だ」とか「人には向き不向きがあるのだ」とか「そんなことを強要するのは人権侵害だ」とか、中にはそれを機にストライキを起こす者もいます。 木梨:それはそうでしょう、だれでも溺れることの怖さは知っていますから。連立方程式の問題が解けなくても命には関わりありませんが、水泳ではそれがあります。 庄司:そうです。でもどうして自分は泳げないと決め込んでいるのでしょう。たいていの人は息が苦しくて泳げないと言います。でも、どうして苦しくなるのか、考えたことはないのです。それがわかれば苦しくなくなる方法もわかるのにです。恐怖や思い込みの前で考えることができなくなってしまうのです。これはさっきお話した悩みの形態と同じです。 木梨:ところで社員の方々はどうなったのですか? 庄司:だれだって、2、3時間も練習すれば100メートルや200メートルは泳げるようになります。もちろん全員1000メートルはクリアします。考えることを身につければそんな課題は簡単にクリアーすることができます。 木梨:そして泳げないと言い張っていた新人が、泳げるようになった時に、大事な話しをされるのですね。 庄司:よくご存知で。その通りです。泳げなかった時の「泳げないと」という悩みがいかにナンセンスな悩みに思えるかを実感してもらいます。 木梨:今日の悩みも、成長している明日の自分にとっては悩みでもなんでもなくなっているということがあるということですね。 庄司:たいていは、悩んでも無意味なことで悩んでいるのです。 木梨:ちょっと話が抽象的になってしまったので、具体的にお話ください。例えば受験で失敗して悩んでいる人への一言メッセージ。 庄司:「君は本心からその学校にいきたいとは思っていなかった。君はそのことに気づくべきだ。そのとき新しい道が見えてくる。 木梨:では希望する会社に入社できたのに、こんなはずではなかったと悩んでいる人への一言メッセージ。 庄司:同じですよ。「君は、本心からその会社に行きたいとは思っていなかった。君はそのことに気づくべきだ。そのとき新しい道が見えてくる」 |