朝日新聞1994年8月28日(サンデーコンサート) より抜粋 遠い未来考え音楽の基礎研究 パリの中心部、超現代的な建物で知られる ポンピドゥー・センターのすぐ斜め前に、赤煉レンガの小さな建物がある。入り口には 「風呂(ふろ)・シャワー」とあり、フランスのすべての公共施設と同じく「自由・平等・博愛」と大きく書かれている。暑かった今年のパリの夏のある日、よし、今日はあの自由平等博愛風呂で一シャワー浴びてみるか、とぼくはその銭湯に向かった。ところがその建物は工事中で、入り口は閉鎖されていたのだ。 さて、そのポンピドゥー・センターの横、楽しい噴水があるストラヴィンスキー広場の角にはフランス国立音響研究所IRCAM(イルカム)がある。 現代音楽ファンならよく知っているこの「イルカム」は、現代芸術ファンだった故ポンピドゥー大統領が、現代音楽界の大御所ピエール・ブーレーズに「音楽を研究するための研究所をつくるように」と要請して今から約十八年前に設立された研究所だ。地下に広がる秘密要塞(ようさい)のようなその建物に中にはたくさんの研究所や実験室、工作室が続いている。 最新式の録音スタジオや演奏スペースもある。雰囲気は普通の理科系の研究所に似ている。机の上にコンピュータが並んでいるのも同じで、その画面に五線や音符が表示されてなかったらなんの研究所かわからないほどだ。 フランスは昔から「基礎研究」つまり、今すぐに何の役に立つかはわからないけれど、数年、数十年、あるいは数百年後の国家や人類の役に立つかもしれないような研究を大切にしてきた国だといえよう。音楽なんか研究しても今すぐ人類の役にたつとは思えない。だがここでは、だれも聞いたことのないような不思議な音をコンピュータで合成したり、作曲家を支援するためのソフトウエアを作ったり、新しい楽器を設計したり、あるいは、ある和音が人間の耳に心地よく響くのはなぜなのかを調べたりするために、毎年八億円以上が国の予算から出されている。研究者たちは楽しそうで自分の仕事に誇りを持っているようだ。何人かと話してみると、みんなあらゆる種類の音楽を愛し、しかもよく聞いているのに驚かされる。このイルカムの研究成果が二十一世紀の音楽を面白く豊かにするだろうことは疑いない。 実はこのイルカムはその市営銭湯の隣にある。今度、研究所が拡張されることになり、銭湯は閉鎖され、その建物は研究所の一部になるのだという。風呂よりも現代音楽、というわけなのだ った。 漫画・小澤 一雄 コンドルは飛んでいく=アンデスの笛 南米ペルーの素朴さと哀愁。サイモンとガーファンクルによって世界中に飛んでいった |