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新潮社「アニメの世界」、一九八八年三月二十五日発行、P94宮崎駿「ひそかに公然と考えていること」より抜粋




「わんわん忠臣蔵」(1963)が初仕事ですが、完成した時は自分の絵は全部直されて何も残っていない。一年目くらいですね、絵を動かすことのおもしろさが分って来たのは。与えられた作業の中で、ふと突飛なことをやってみて、撮影されて果たして突飛なことであるのを確認し、修正し、勝手に勉強していました。慣性とか弾力、重力は、どうやったら表現できるのか、それらをそれなりに描き、くり返しては、体得していったのです。一年目に、仕事のおもしろさが分かりだす。これを発見できない人は不幸ですねえ。真面目に仕事をやっているのだけれど、この人一度もおもしろいと思わなかったんじゃないかな、気の毒だな、という人がいるでしょう。絵のうまい下手以外に、アニメーターの適性というものがあるんです。それは八割がた、持って生まれた何かで、あと二割が教育と訓練です。作品全体に関しても、発想や考え方の姿勢は随分先輩たちのそれやスタジオ全体の雰囲気などから受け継ぐわけですが、それらに合うか合わないか本人の適性次第で、どこか善良でないとだめですね。あんまり世の中を斜めに見ている人には向きません。斜めに見ているようだけれど、本当はやはり肯定したくてウズウズしている人に向く仕事です。報われない割には適性が要求される分野ですね。しかも毎日毎日、食べ物屋にたとえると同じものを作りつづけ、それでも少しでもましなものを作ろう、皿やカウンターも磨いて、と大変な努力ですよ。少しずつ汚れていくことには自分ではなかなか気付かない。食べ物屋でもそういう店ありますよね。