いとうせいこう著「解体屋外伝」P200より抜粋 それには答えずに、解体屋はなおもつぶやいた。 「精神洞窟(ニューロティックケイブ)が出来ちまっているんだ。だから、すぐに自分に疑いを抱く。この洞窟を掘りなおさなきゃならない」 「精神洞窟?ひょっとして、それもテレビ・ゲームのこと?」 「違うよ・・・違うはずだ。 ・・・いや違う!」 ソラチャイは黙って椅子に座り、解体屋を見上げた。 「ごめん、違うんだ。精神洞窟ってのは、つまり、脳神経が作り出した一定の通路のことだ。神経の樹状突起、わかるか?そこにはスパインってのがある。ミミズみたいなトゲだよ。それが記憶を蓄えていると俺たちは考える」 ソラチャイは黙って、講義に耳を傾ける。 「いや、ええと、どう言えばいいのかな。そういう神経と神経の間の・・・」 「シナプス?」 「そう、シナプスだ。神経と神経の間にあるただの空間だけどな。そのシナプスに流れる電位の効率がいい方に、刺激は伝わっていく。で、スパインが太くなるほど、その効率はよくなるんだ。つまり、その太いスパインの連結を、解体屋は精神洞窟と呼ぶわけさ」 ソラチャイはまだ理解出来ないといった表情をしていた。解体屋は仕方なく、またしゃべりはじめた。 「一度神経洞窟が出来ちまったら、似たような刺激はなんでもそこを通るだろ?なにしろ、太いパイプがあるんだから。例えば、悲しい目に会った人間は、何を見ても落ち込む。それは精神洞窟が目の前にあるものを穴に引っ張り込むからだ」 「う〜ん、なんとなくはわかった。でも、それを掘り直すことなんて出来るの?」 ソラチャイは真剣な顔をしていた。 「俺たちは出来ると考える。それもレーザー・メスでなく、心理手術(サイコ・オペ)でだ。何を見ても悲しい時は、自分で精神洞窟を掘りなおす。たいていのやつは悲劇は続くもんだと考えるだろうが、俺たちは違う。悲しいことなんて事実はない。そこにあるものをどうとらえるかだけだ。それを悲劇の繰り返しにしているのは、脳に出来た神経洞窟のせいなんだ」 いとうせいこう著「解体屋外伝」 講談社 1993 7/15 |